遊びを仕事する

− 1 −
子どもにとって遊びとは


 幼児保育に関係するほとんどの人は、「子どもにとって遊びの経験は、成長してからの知識、技能、社会性の学習に役立ち、非常に重要である」といわれます。事実、全国の幼稚園・保育園のホームページの保育・教育方針を見ても、多くの園が「遊びを通して育てる」と掲載しています。
 ところで、私は20年ほど前より、北欧のスウェーデン・ハグス社から大型木製(園庭・公園)遊具を輸入販売する仕事に従事してきました。そして、遊具設置の権限のある多くの自治体役所の公園(緑地)課や保育・教育行政担当者、さらに園長にもお会いし大型遊具のセールスをしてきました。しかしながら、遊びの重要性は認めても、遊具にはあまり大きな予算が認められませんでした。
遊具  遊具予算は、幼稚園・保育園では園舎建設費の2〜3%、都市公園でも公園建設費の5〜10%で、「遊び環境」を重視したものではないと思ってきました。
 このような事実から私は、「遊びの時代」といい、「遊びは重要」といわれるけれど、「遊び」の施設設備にあまり費用を使わないのは、実は「遊び」という言葉の概念(イメージ)は人それぞれ違っていて、必ずしも良いイメージを持っていないのではないかという疑問を抱くようになりました。そして、子どもにとって「遊びとは何か」、遊びの機能や効用などではなく、遊びの本質について考え始めました。
 これを知るために、そのときから私が出会うことのできるいろいろな職業の人に、「遊びの反対語は何か」と質問し、次のような答えをいただきました。ビジネスマン(主に男性)は、即座に「仕事」、小学校の先生(主に女性)や母親は、少し考えて「学ぶ」、幼・保育園園長や保育士は、かなり考えて「休む」「わからない」(反対語はないという意味に近い)と。たった1人、製品の設計や技術開発をしている人の中に「まじめ」と答えた人がいました。(ちなみに、スウェーデン・ハグス社の社是は“遊びに真剣に取り組む”です)  このように、その人の職業によって「遊び」の持つイメージは異なることがわかりました。その結果、幼・保関係者以外は「遊び」は「仕事をしていないこと」であるか「勉強していないこと」であり、およそ重要なことではないのです。
 さらに、これら回答者は「子どもにとっての遊び」といっても、遊びの概念は、「自分すなわち大人にとって何なのか」ではないかと思われます。(かの有名な『梁塵秘抄』の「遊びをせんとや生まれけむ」の遊びも大人の想像するイメージの遊びだと思われます)
 すなわち、子どもとして生きていく世界では、「遊びはフェイタルなもの(欠くことのできない重要なもの)」と理解されていないということです。
 私は、遊具を売るだけのためでなく、職業に関係なくあらゆる大人(特に働き盛りの男性)が、子どもにとって遊びは重要ということがわかる「遊びに代わる言葉」はないか、なければ作れないかと考えました。「遊育」「創育」「遊創」「学育」「遊学」等々何年間も考えましたが、どれも造語としても受け入れられそうにもないし、また「遊学」のように全く違った意味に使われている言葉やらで、困っていました。
 あるとき、夜のテレビでのプロ野球解説で、プロ選手出身の解説者が「今日の桑田は良い仕事をした」といっているのを聞いてヒントが得られました。我々野球ファンにとって選手の好プレーは、ストレス解消の「遊び」ですが、プロのプレーヤーにとっては「仕事そのものである」と。
 このことから、大人にとって子どもの遊びは“無邪気でたわいなく、何の役にも立たない”ように思えるが、子どもたちの世界では重要な“仕事”であるとの考えにたどり着きました。(モンテソリー幼児教育では、「その教具を使った遊び」を「お仕事」と呼んでいますが、これは狭義の遊びを意味し、私の主張する「遊び=仕事」ではありません)
 このように、子どもは真剣に遊べば“真剣に仕事をしていること”となり、その仕事ぶりは成長していく過程でも、大人になってからも、大いに役立つものとなるだろうと思います。
 私は、どのような職業の人にも子どもの「遊び環境」は「仕事環境」であるとの言葉に換えてイメージされれば、「絵本」「おもちゃ」「遊具」等の諸施設設備はより充実されると確信しています。

遊具熊尾 重治(アネピー代表・北欧保育研究家)

「絵本フォーラム」30号・2003.09.10


次へ