遊びを仕事する

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子ども時代の発見

人生90年、生き方上手に、子育てを楽しむための子どもへの認識

 幼児教育の先駆者、イタリアのモンテッソーリは「大人は子どもを経て大人になるため、『子どもはわかっている』と思っているが、実際は何もわかっていない」と言っています。事実、私もなるほどと感心しているばかりでなく、子どもに関する仕事を始めた当初、このことを確かめるため、これまで約60人に次のような質問をしました。
 「あなたが子どものころで、何かを覚えている最少年齢は何歳で、どのようなことですか。トルストイは産湯で体を洗われたときのことを覚えているのだそうですけれど」。
 この結果、2歳が1人おり、「腕を折って痛かったこと」。3歳が12人おり、「人形をもらってうれしかったこと」「遠くの田舎や町に行ったとき、自然や建物の風景が珍しかったこと」など。あとはすべて4歳以上で、「運動会で一番になったこと」「遠足で崖のぼりが面白かったこと」など、幼稚園、保育園時代の行事の記憶が大半でした。
 このように、幼児期のことは、覚えてはいても断片的で、それも大きくなって写真を見て知っていることも多いように感じられました。
 要するに、親を含め、子どもとじかに接する大人が、本当は「子どもはわかっていない」のに、「子どもはわかっている」と思っていることに問題のすべてがあるのです。
 ところで、スウェーデンでは、農業国から工業国へと移行しつつあった大変動期の1900年に、世界的な文明評論家エレン・ケイが『児童の世紀』(日本語版‥小野寺信/訳、冨山房)を出版しました。この本は、スウェーデンの母親たちに子どもの教育の重要性を認識させることに貢献しました。一方、文明評論家としての彼女は、この「児童の世紀」というすばらしいキャッチフレーズにより、社会の人々に「子どもの発見」をさせ、国家が責任を持って教育を行う制度を充実させました。
遊具  日本では、主婦が家庭労働から解放され、夫婦共稼ぎの家庭が増え始めた70年代初頭、ソニーの創業者として有名な井深大が『幼稚園では遅すぎる』(ごま書房)を出版しました。この本は、その題名が非常に刺激的なこともあって、この種の教育ものとしては数少ないベストセラーとなり、母親に「早く教え始めれば優秀な子に育つ」との考えを植え付けました。私の家でも、このとき幼稚園児が2人いましたので、妻はこの本を買い、「早期教育」を試みたようです。
 この一文を書くに当たって、妻にこの本のことを聞いたところ、「内容は全く覚えていないけれど、私は母親失格ではないかと非常にあせりました」と答えました。事実、この本については、藤永保の『幼児教育を考える』(岩波書店)に「著者は、別に英才教育を説いているつもりではない、軽視されつづけてきた乳幼児教育の重要性を強調したいだけという趣旨を初めにのべています。その善意はよくわかるにしても、こうした提言に直面すると、親たるものはまず不安をかき立てられてしまうのではないでしょうか」と書かれているとおりだと思います。
 また最近、赤ちゃんの脳の発達についての研究が盛んで、特にテレビ漬け、ゲーム漬けなどの被害を挙げ、「生活環境から遠ざけるべき」と主張する本や、漢字や英語、音楽教育などについて、「小学校では遅すぎる」と思わせるような本が出版されています。その分野の研究成果は、「子どもの脳の発見」の時代に進みつつあると思われます。
 しかしながら、これらの研究成果には、健康に関する医学的な分野は別にして、『幼稚園では遅すぎる』のように、研究発表者の意図とは別に、保育者、特に母親に不安と焦燥感を与える可能性の大きいものが多いように思われます。
 したがって、私は、幼児の成長に明らかに好ましくないといわれているテレビやゲームを除けば、1冊の研究成果のみに心をとらわれ、子どもの脳の成長について、あまり深刻に考えすぎる必要はないと思っています。むしろ親は、子どもをどのような考え方で育てるのか、どのような人生観を持って育てるのか、きちんと見定めることが重要であると考えます。
 今、全国各地に子育て支援の団体や施設がたくさんあります。そして、それらの多くは「子育てを楽しむ」というキャッチフレーズを掲げています。しかしながら、子育てを楽しむには、その前提として次の二つを知っておく必要があります。
 一つは、「大人は子どもを知らない」ということです。そして、その「知らないこと」で最も重要なのは、言葉だけでは、大人の思いは子どもに通じないということです。
 このことは、「言葉の重要性について」として、いずれ当紙で詳しく述べさせていただきますが、今回は「絵本の読み聞かせ」に絞って考えてみたいと思います。
 絵本の読み聞かせは、絵本を読む知識のある子どもに対してでも、また、物語の内容を知っている子どもに対してでも、非常に喜ばれます。読み聞かせという行為は、文字や絵を“口”で読むというより、時間をかけて“体全体”で読んでいるため、書かれている絵本の物語を超えて、読み聞かせている人の伝えたい“思い”を伝えることに成功しているのではないかと思います。
 もう一つは、大人は、大人の作った世界での幸福感と同じものを子どもたちも求めていると思い込み、一刻も早くそれに到達させようとしますが、それはほとんど無意味であるということです。
 そして親(特に母親)は、自分の子には無限の可能性があり、ほかの子より優れているという意識を持ち、その子ども時代を社会的に成功した大人になる前の一時期(過渡期)と捉えていることに、不安とあせりを生じさせる原因があるのです。
 いまや日本人の人生は90年となりつつあります。
 あなたは「青春時代」を過ごしました。その大切な時期を、あなたは誰に何と言われても、立派なサラリーマンや良き母になるために必要な一時期と受け入れて過ごされてはいないと思います。
 また、あなたも多分、「老年時代」に遭遇するでしょう。あなたはその時期を、最期を迎えるまでの過渡期だと考えるのではなく、日野原重明先生(聖路加国際病院理事長)の『生きかた上手』(ユーリーグ)のように、“人生を楽しむ”時期だと考えるべきだと思います。
 このように、「子ども時代」は“子どもであること”自体に重要な価値があることを発見すれば、子育てを楽しむことができるようになるのです。

「絵本フォーラム」31号・2003.11.10


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