この国は壊れ始めた……。年始、心許せる幾人かの人に下の文章を認めた。
《今年も「安倍晋三亡国政権」の暴走は続きます。『アホノミクス』(○C浜矩子氏)は春から夏にかけて、その化けの皮がはげるでしょう。円安で日本経済は低迷、企業の倒産が多発し、巷に失業者が溢れる予感がします。
旧蝋の選挙で「白紙委任」されたと錯覚(誤)している安倍政権は、更に暴走を加速させそうです。昨年12月10日、天下の悪法「特定秘密保護法」が施行されました。憲法改正(悪)、集団的自衛権、原発再稼動、福島、沖縄の棄民政策、TPP参加――。「大▲×者」、と嘆いても事態の好転は望めません。総体の暗転を止める闘いの日が始まります。》(2014年12月記)
■「70年談話」は全能感を持った子どもの「作文」
頭がクラクラしてくる。恥ずかしげもなく、このような歴史の普遍性に堪えられない陳腐な「談話」をよく出したものだ。歴史を修正したい思いを語りたいなら仲間内で、件の百田某なども入れて酒場で喚いていればよい。事前に懸念(問題)されていた「村山談話=1995年」の四つのキーワード、「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」は換骨奪胎し、主語を曖昧にしてしまった。よって、内容が不明確な冗長な文章になっている。だれかが言っていたが、論理と知性が欠如した安倍政権らしい「談話」である。朝日新聞ではないが、「何のために出したのか」(8月15日社説)と言いたくなるものだ。
■看過できない部分がある
論評に値しないけど、「談話」の中段以降に次の文言が出てくる。――《日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。》――
仰天してしまった。よくもこんな言葉を綴ったものだ。犯した罪(加害)の免罪は、加害者が口にすべき言葉ではない。謝罪を続ける宿命(運命が正しい)は、相手(被害者)が許してくれない限り、何百年も何千年も続けるのが風儀というものだ(お互いの民族・国家があれば、の話しだが)。それがいやならこの国に生まれた「運命」を捨てるしかないのだ。
戦後処理を連合国側に全て任してしまった不明こそ詫びなければいけない。敗戦後70年この国は、「侵略」し「植民地化」した国に対して何をしてきたのか。「反省」と「おわび」を物心両面でしてきただろうか。そのことを厳しく総括しなければいけない。そして、そのことを次世代に引き継いでもらう、それが「大人」の作法(考え方)というものだ。
■「戦争法案」は直ちに廃案にせよ
衆院で強行採決された「戦争法案」は今、参議院で集中審議中だ。中学、高校生に国会審議を視聴することをすすめたい(肝心な局面ではNHKは放映しないからネット視聴になる)。
年間、税金で1億円近い歳費を懐に入れている議員という「大人」たちの議場での行動(スマホ操作)と言動(不規則ヤジ)をしかと見るがいい。呆れて卒倒するかもしれない。自分達は絶対行くことのない「戦争」の種種を大真面目で論議(論議の名に値しないけど)している。寒気を通り越して滑稽を覚えるかもしれない。
先日(8月19日)、ネットで国会審議を見ていたら、あの山本太郎氏が、この国のタブーを追及していた。それは戦争法案をはじめ原発再稼動、TPP参加など、この国の将来を決定する重要政策は全て宗主国・米国の要請(第3次アーミテージ・ナイレポート・2012年8月)であることを暴露したのだ(多くの議員は知っていても怖くて口に出せない)。 タブーに挑戦して失脚した政治家を、我われはつい最近の事件として知っている。田中角栄と小沢一郎氏、鳩山由紀夫氏だ。米国、官僚、マスコミに潰されたのだ。山本太郎氏も身辺警護を厳重にしてもらいたい。
■次世代への「負の遺産」は山積
上に書いた他に次世代への「負の遺産」は山積している。2年間稼動しなくても充分電力の供給に問題のなかった原発は、これまた米国の指示で再稼動。辺野古の基地問題は「戦争法案」審議の影響を考えて一時休戦しているが、これも税金を使って用地を買収、更に施設まで建設して米国に〝献上〟する予定(現存する基地とは全く別物である)。TPPについては(仰せの通り!)と参加するだろう。
一国の総理が世界に向かって「大嘘=アンダーコントロール」をついて招致した2020年の東京オリンピックは、競技場建設問題、大会エンブレムのデザイン盗用疑惑などゴタゴタ続き。しかし、建設や盗用問題にすり替えてはいけない。そもそもオリンピックなどしている場合ではない。ここは「大嘘」をついたことを深く「反省」し、心から「おわび」した上で、「返上」するのが筋目というものである。
投入される国民の税金を福島への復旧・復興援助に使うのが「政治」の役割というものである。
字数の関係で詳しく書けないが、これらの問題だけを見ても、これが主権・独立国家といえるだろうか。中・高校生の皆さん、学校で先生に聞いてみてほしい。「この国は本当に独立国家ですか?」と。
賢しげに先行世代の「来し方」を批判していた我らの世代は、後続世代から同様の厳しい批判に晒されるだろう。「あぁ、恥ずかしい!」。
(ふじい・ゆういち)