えほん育児日記

わたしの子育て   

~絵本フォーラム第104号(2016年01.10)より~  第4回

 実家の玄関をくぐるたびに、子どもの頃の私がひょっこりと出てきそう……。それくらい、あの頃のままの家が、夫と私と娘を迎えてくれます。

  私は、父母、そして父方の祖母、弟二人の六人家族のなかで育ちました。実家は大阪北部の私鉄わたしの子育て4-1駅から徒歩三分。マンションが建ち並び、大型スーパーもコンビニもあって便利な立地にありますが、そこが、そんな街になる前からずっとあった家なのです。祖父母が建て、父が育ち、母がお嫁に来て、私たちが生まれ育ち……。家族と街の移り変わりをずっと見守ってきた、古い小さな一軒家です。私と母はこの家を『ちいさいおうち』(ばーじにあ・りー・ばーとん/ぶんとえ、いしいももこ/やく、岩波書店)のようだね、といつも話しています。

  子どもの頃、私はこの家があまり好きではありませんでした。遊びに行く友だちの家は、おしゃれな壁紙に、窓にはカーテン。ダイニングテーブルやソファがありました。帰宅して我が家を見回すと、砂壁、障子、仏壇、掘りごたつ……。あこがれる洋風の生活には程遠く、ため息が出るのでした。

  食卓には必ずと言っていいほど、家で漬けたぬか漬けが並びます。梅雨明けのベランダには梅が干され、秋には干し柿、冬になったら大根が軒下にぶら下がり、年の瀬にはお餅とおせちの匂いが家じゅうに漂うのでした。ぶら下がる大根に落胆し、洋風な生活に憧れを抱く反面、そういった自家製の味や、暮らしの手仕事を楽しみにもしていた子ども時代でした。

  それを一手に取り仕切っていたのが祖母だったのですが、行儀作法にも厳しい人でした。よく怒られもしましたが、デパートのレストランに孫を連れ、食事のマナーを教えてくれるような粋な人でもありました。
そんな祖母からは、一方で「始末する心を忘れたらあかんで」とも言われていました。始末するという言葉を、改めて辞書で調べると「倹約、浪費を慎むこと」とあります。靴下を繕ったり、きれいな包装紙やリボンを大事に取っておく祖母の姿が思い出されます。九三歳で旅立った祖母から教わったことも、今の私の子育てや暮らしを支えてくれています。

  娘には、曾祖母との思い出はほとんどありませんが、気が付くと、娘がいつも1番に仏壇に手を合わせているのです。その姿を見ていると、命のつながる中に私たち夫婦がいて娘もいるのだという事を感じずにはいられません。

  一方、母はのんびりしていて、子どもの言い分も聞いてくれて、怒ることもあまりなかったように記憶しています。嫁姑のケンカなんてよその家の話だなと思っていましたが、そうやって感じさせてくれた母には、今になって頭が下がります。

  相手を思いやる気持ちや、ときには自分が遠慮する気持ちを持ち合わせていなければ、家族は成り立ちません。年長者を労わったり、子どもを尊重したりすることも、そうではないでしょうか。自分の感情のままに不用意な言葉を家族にかけてしまう私に、母の姿は自分を省みることを促してくれます。
わたしの子育て4-2 小学生になって、学校での些細なことに悩んだりする娘を見て、「それくらいの事で!」と思う事が多くありました。難なく乗り越えてきたように思うのですが、実はそうではなかった事を、実家のこたつで思い出しました。私も友だちとケンカをして掘りごたつにもぐり込み、落ち込んでいたことなど数えきれません。そんな時、家族に話を聞いてもらい、おやつを出してもらって、心も身体もあったかくなるのを感じたものです。そんな気持ちを、すっかり忘れている自分に気づかされました。

  大人になった時、子ども時代の家族や家のありようが、自身を支え導いてくれることがあるような気がします。
我が家でも梅干し作りに挑戦し、軒下に干し柿をつるすようになりました。娘は何を感じ、何を記憶に重ねていくのでしょか。

  私の育った家でのありようは、かたちを変え、場所を変え、緩やかに娘へとつながっていきます。
(くりもと・ゆうか)

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