たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第110号・2017.01.10
●●99

ナンセンスなひびきに惹きこまれ、
かぎりなく空想がひろがる

「りんごかもしれない」(ブロンズ新社)

 

rinngokamosirenai 12月半ばのこと、京葉線市川塩浜駅でホーム下にうつ伏せになる男が出現する。まもなくやってきた電車の下に男は潜り込み、警察官に逮捕されるまで頑として動かなかった…。10月中旬に若い女性が風呂場で出産死した赤ちゃんを置き去りにし、下旬には何者かが裸の乳児を布にくるみ公園に遺棄…。こんな常軌を逸した事件がつぎつぎと起きる。

 一部の企業や資産家のみに豊かさを独占させるいびつなグローバル社会が世界をおおう。貧富の差の広がりはとめどなしだ。各地の紛争(戦争やテロリズム)も富や権力の偏在に相当部分起因しているにちがいない。

 我が国だって例外でなく、貧富の差は拡大、独裁国家とみまがうほどの強権政治は、問題法案を猛スピードで通過させる。モノ言えばパージを受けるのか、野党の多くも、哀しいことに新聞・テレビら大マスコミも、言論の自由を自ら放棄する始末。かれらは口先だけの反論・異論でお茶を濁すばかりである。

 なんでもありの世の中だからだろうか、過激に奔って自暴自棄となる人びとも出てくる。

  で、英国のEU離脱なんかありえない、トランプが勝てるはずがない、という一方の通念が、離脱できるかもしれない、勝てるかもしれないという、もう一方の思い込み(仮想とも妄想ともいえようか)のまえに脆くも敗れさる。常軌を逸した事件の惹起者たちはどうだろうか。弱者にやさしい世の中だったら、悲惨な事件の多くはなかったかもしれない、と考えたいではないか。

  絵本『りんごかもしれない』は、ふしぎなほど、いい絵本かもしれない。

 こちらは、妄想の対極にある夢想・空想の世界だ。テーブルの上のりんごを見て、”もしかしたらりんごじゃないかもしれない”、というのだから、作者は人間じゃないかもしれない、と考えてしまいそうになる。仙人なのかも、もしや神かもしれないと…。

 サクランボの一部かも、むいても むいても皮かも、育てると大きな家になるかも、心があるのかもしれない、とつづくと、古希を過ぎたわが脳みそも少しは働きはじめて、作者の世界におくれを取るまいぞと必死にページをめくってしまうのである。

 こんな風にも展開するのだ。“ぼくの おじいちゃんの おじいちゃんの おじいちゃんが りんごの すがたをして ぼくに あいにきたのかもしれない”…、どうですか。ファンタジーからナンセンスなひびきとリズムを加えた絵本は、孫とあそぶ老心には、意味なくちょいと、うれしくなるではありませんか。

 加えて、イラストがすごい。親しみやすいカートゥーン・タッチの線描に印刷指定色だろうか、黄赤をメーンに白地も活かした色彩の風合いが感じよく目に飛び込む。相当に計算した(悩んだ)にちがいない面割り・箱割り・駒割りのエディトリアル・デザインもテキストのリズムと気分よく調和するではないか。

 老心までぐいぐい捉えてしまうのだから、子どもたちだったら、どんな喰いつきを見せるのか、とんでもない喰いつきがみられるかもしれない、と空想がつのりはじめるはずだ。作者はいったい何者か。きっと相当の魔人か、夢み人かもしれないと、まずは、ひとりごちて読み楽しんでいる。

 想いを馳せるなら、空に遊び夢を描くほうが断然いい。ナンセンス絵本の傑作といっていいだろう。

(おび・ただす)

(『りんごかもしれない』ヨシタケシンスケ=作 ブロンズ新社)

 

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