えほん育児日記

   
わたしの子育ては・・・


~絵本フォーラム第111号(2017年03.10)より~  第5回

 高校生の時、先生が「今の気持ちを書いておきなさい。大人になると、今の気持ちを忘れてしまうから」と言ったことを思い出す。素直に書いておけばよかったと思うが、当時は面倒で書かなかったのだ。

ゴルフ風景 子どもの頃は何を思っていたのか、普段から意識していると、ふと当時の記憶がよみがえることがある。母親が料理をしている姿を、私は隣の部屋から見ている場面を思い出す。料理をしないで遊んで欲しいなと思っていた。母に「部屋を片付けなさい」と言われても「うるさいな」と思うだけで、片付けなかった。だから、家事をしている時、娘が「遊びたい!」と言うと、「そりゃ、遊びたいよな」と思えるし、娘が片付けなくても、当たり前だと思える。イライラしないで子どもに接することができる。

 子どもの頃の思い出は、必ずしもいい思い出だけではない。思い出したくないこともある。本当は両親にこうしてほしかったという気持ちだったり、私には5歳離れた弟がいるのだが、弟ばかり可愛がって、私のことはかわいくないんだと思っていた気持ちだったり……。鮮明に覚えている場面は、初めて幼稚園バスに乗った時のことだ。私は幼稚園に行きたくなかった。弟が生まれ、ちょうど母が入院していて、父が幼稚園バスの乗り場まで一緒にきた。「行きたくない」と言うと、「お父さんも一緒にバスに乗るから」と言われた。しぶしぶ乗ると、後ろでドアがガシャンとしまった。今でも忘れない。あの、悲しくつらかった気持ち。お父さんにウソをつかれて、ショックだった。幼稚園についても、柱につかまって、しばらく泣いていた記憶がある。私にとってはつらい思い出だ。だから、娘にはだますようなことはしないと決めて接してきたつもりだ。父がウソをついたのは仕方なかったことだと今は思うし、「バスの後ろまで走ってきて泣く姿を見て心配で、こっそり幼稚園まで様子を見に行ったんだ」と父から聞かせてもらえたことはよかった。

 両親と一緒にしたかったことは、娘が私に体験させてくれた。たとえば、一緒の布団で寝ること。たくさん抱っこしてもらうこと。両親と一緒に寝ている弟が羨ましいけど、自分は決してできなかった私にとって、娘と一緒の布団で寝ることは、幸せな時間だった。休みの日の朝は、いつまでも布団から出ないで娘と話し続ける時間は楽しかった。私は、娘に子どもの頃の気持ちを満たしてもらった。娘に育て直してもらったのだ。

 両親が娘に接する姿を見て、自分もこうして接してもらっていたんだなと実感すると、自分も愛され手作りていたとわかってくる。「弟ばかり可愛がって」という気持ちを、両親にぶつけることもできた。そして、両親の気持ちを聞くことで、少しずつ私の心のわだかまりはとけていった。

  娘は生まれてからずっと、自分の意思を通す子だった。私の言うことは聞かない。自分が納得しないと行動しない。その点、私は両親に反抗はするが、最終的には言うことを聞いていた。子育てをするうえでも、私と母とでは考え方が違うが、反対されると納得していないにも関わらず、母に従ってしまう自分がいた。でも、娘を見ているうちに、私も母から反対されても、「自分がやりたいようにやる!」と決意し、それを行動できたとき、やっと親から自立できたような気がする。私にとって、子育ては自分育てだった。

  娘に、「今の気持ちを書いておいたほうがいいよ」と言っている。「大丈夫、すでに書いてあるから」と言う。どんなことが書いてあるのだろうか。ちなみに、「お母さんのいやなところはどこ?」と聞いてみたら、「ぐうたらで、天然、すぐに忘れる。お母さんがお皿を割っても誰も怒らないのに、私がお皿を割ると怒るところ!」だそうだ。ぐうたら母ちゃんはやめられないので、お皿を割っても怒らないでいられるよう気をつけようと思う。将来、娘にどんなことを言われるのか、楽しみでもあり、恐ろしくもある。
(なかた・ともこ)

 

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