えほん育児日記
〜絵本フォーラム第112号(2017年05.10)より〜

「時間が育むもの」

 

東條 真由美(絵本講師)

 

東條 真由美(絵本講師) 我が家の裏山からウグイスの声が聴こえる季節になりました。「ホー、ホホホケキョ」「ホー、ホキケキョピッ」。可愛らしい歌声を聴きながら、まだ練習中かな? 早く上手に鳴けるといいね……。いやいや上手にならなくてもそのままでじゅうぶんステキよ、と心の中で話しかけます。このように鳥の声に耳を傾けられるようになったのは、ここ数年のことでしょうか。子どもたちが小さかった頃はこんな余裕もあまり無かったなと思いつつ、穏やかな時間もあったことをふと懐かしく思い出しました。

 何事にものんびり屋の息子を見守りながら、小さい頃はよく「ゆっくりでいいよ」と言っていました。ゆっくり散歩、ゆっくりお昼寝、ゆっくり絵本……。乗り物系の好きだった息子は『しゅっぱつしんこう!』(三田村信之/ぶん 柿本幸造/え 小峰書店)が大のお気に入りで、この絵本ばかり読んでいた時期があります。主人公のゆたかくんが運転士さんからブレーキハンドルをもらう場面や、動物たちと「おしっこかんりょう!」「トラックころがし、かんりょう!」と言う場面がとても好きでした。家でもよく「はみがきかんりょう!」「パジャマかんりょう!」と言って遊んでいましたが、幸せな時間だったと今になって思います。

 そんな息子も中学生になると目つきが変わってきて、高校生になるとほとんどしゃべらなくなり、心が見えなくなっていきました。小さい頃のかわいらしかった息子に会いたいと泣きたくなったこともあります。そして、高校3年のある秋の日。些細なことから言い合いになり「何でいつもそんな嫌味なことばっかり言うの」と言う私に返ってきた言葉は……。「俺がこんなふうになったのは、お父さんとお母さんのせいや!うちは普通やない。小さいときからお父さんもお母さんも嫌いやったし、愛情も感じへんかった!」。

 「愛情を感じなかった」、この言葉に私はかなり打ちのめされ、今までの自分の子育てを全否定されたと感じて、2日間寝込んでしまいました。中学の時にもゲーム機を持たせなかった我が家は、確かに普通でなかったかもしれません。でも愛情はたくさん注いできたのに……。子育てに対する自信が全く無くなってしまったのです。

 このことを絵本講師の集まりの中で聞いていただく機会がありました。そこで、「子どもが親に向かって思いきり否定的なことを言えるのは、言っても大丈夫と思える親子の関係が出来ていたからでは?」と言っていただいて、ハッとしたのです。そうか……根っこでは息子と繋がることが出来ていたのかな、と気持ちが落ち着いたことを覚えています。実は後日、息子が「ちょっと言い直す。嫌いになったの昔からやなくて中学生からやった。愛情くれてたのは分かってたけど俺の欲しい愛情と違ってたの間違い」と訂正してくれました。言い過ぎたと思ったのでしょう。

 この春、息子は2年目の浪人生活へ突入しました。「根本的な勉強をもう一年やりたい」と言う息子に、目の前のことから逃げているのではないかとの思いもよぎりました。しかし、目の前の息子に小さな頃の息子の姿を重ね「ゆっくりやったらいいんじゃない」と言葉をかけました。

そして先日、何気なく息子に「この絵本覚えてる?」と『しゅっぱつしんこう!』を見せると、「覚えてるで!ハンドル渡すやつやろ。ここ好きやったわ」とすぐにそのページを開いてくれました。この短い会話の中に、息子と過ごしてきた今までの温かい時間が流れ、胸が熱くなりました。

 何事も早いスピードで進んでいく今の世の中では、効率の良さも確かに大事ですが、すぐには答えが出ない大切なものもたくさんあると思うのです。自分を大切にする心、人を信頼する気持ち、温かい時間を感じられる幸せや、生きていく上で大切なたくさんの力を、これからも時間をかけて育んでいけたらと思います。その先には、長い時間を経て始めてわかる素敵なことが、きっとたくさん待っていることでしょう。自分自身の経験を交えながら、そのようなことをお伝えしていきたいと思います。
(とうじょう・まゆみ)

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