えほん育児日記

   
わが家の子育ては・・・


~絵本フォーラム第118号(2018年05.10)より~  第6回(最終回)

 この春、長女は小学四年生に、次女は年長になりました。長女はかなり長い読み物にも、一人でじっくり向き合うようになりました。それとは別に、今も寝る前には次女と一緒に読み聞かせの時間を楽しんでいます。次女は家族が驚くような個性的な絵本にも興味を示し、ぐっと集中して読みます。独特の世界を持っていて、どんどん深く入り込んでいくようです。  

 「自分のこと好き?」と娘たちに尋ねてみたことがあります。長女は「好き。自分のことを信じられるから。間違った方には行かないって思えるから」と答えました。物静かですが芯があります。この先も迷うことがあるでしょうが、周りの人の心も汲みながら見極めていけるのではと思います。次女は少し考えてから「自分の中身は好きになってきた」と答えました。心のなかの灯火に目をこらす眼差しは曇りなく、力強さがみなぎっていました。

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絵本とともに歩む 故郷を離れた私たち夫婦の子育ては、慌ただしく余裕のないものでした。充分に娘たちに時間を割けなかった反省も尽きず、今も悩み、探りながらの日々です。でも、どんな時も絶やさず娘たちと絵本を楽しんできて良かった、大切な時間だったと近頃ようやく自信を持てるようになりました。絵本を読んできたから今の私たちがあり、絵本が私たちを結びつけてくれました。目には見えないものを信じること、自分を偽らず勇気を持って歩むこと、誰かの気持ちになって痛みをわかちあうこと、みんな絵本が教えてくれました。

 母になってからの十年を絵本の記憶とともに振り返り、娘たちの成長への様々な想いが胸に去来しています。そして私もまた一歩前へ、踏み出せるような気がしています。一年間お読みくださり、ありがとうございました。

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 《ねがいごとは、いきたいところへ とちゅうまでいったのと おなじなんだ。》これは『ケニーのまど』(モーリス・センダック/作、神宮輝夫/訳、冨山房)の一文です。主人公ケニーは夢の中で四本足の雄鶏と出会います。その雄鶏の出す七つのなぞなぞに答えるうち、ケニーが自分自身を見つめながら成長する姿が描かれています。

 物語の終盤、求めていた場所がとても遠いことを知って肩を落とすケニーに、雄鶏が語りかけます。《でも、きみはもう、とちゅうまで いってるんだよ。》《ねがいごとを したからさ。》自分で考え、心から望んだ時点で、それは願いが途中まで叶ったのと同じことなんだ、と雄鶏はケニーに言いたかったのではないでしょうか。つまり、何かを成し遂げるとか、何者かになるといった結果に辿り着くのが大事なのではなく、自分でこうしたいと決め、心に従うことが大事なんだと語っているように感じます。この言葉を、私は今の娘たちに贈りたいと思います。そしてこの言葉は、私自身の人生を思い返す時にも、温かい励ましの言葉となって響いてきました。

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 子どもたちが自分の意思で道を切り拓き、いつか旅立って行くことを願っています。我が家の子育絵本とともに歩む2ては、そのための手助けです。道程で困難に出会った時、手を差し伸べてくれるのは想像力ではないでしょうか。言葉にならない気持ち、理屈で説明できないこと、どうしようもない悲しみに苛まれることもあります。でも絵本で読んだ物語はいつも“それでいいよ”“こんな気持ちになる時だってある”“こんなことも起こり得る”と寄り添ってくれます。そう思えたら、自分を取り巻く世界を狭めることなく、恐れずに翼を広げられるかもしれません。物語は、その世界だけで独立して閉じたものではなく、現実に深く影響を及ぼす力を持っています。物語に触れることで現実は変化し、自分の想いで未来を創ることができるのです。だから人は物語を求めるのではないでしょうか。

 絵本に答えは書かれていません。人生に答えがないのと同じです。人生はいつだってあらゆる可能性に満ちています。これからも希望を失わず、絵本とともに歩みたいと思います。
(しのはら・のりこ)

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