えほん育児日記

   
母になった喜びとダウン症という衝撃


~絵本フォーラム第120号(2018年09.10)より~  第2回

わたしの子育て1 ダウン症の診断を、夫と私の両親は驚きつつも取り乱すことなく受け止めてくれ、変わらず娘を可愛がってくれました。私は俄か仕込みの知識を披露し、何とかなると伝えました。

  夫の兄からは、すぐに地元の親の会に入るようにとアドバイスがありました。実は、義兄は特別支援学校の教員で、一人息子は高機能自閉症をもっています。息子を小学校から普通学級で学ばせ、進級するたびに夫婦で学校へ出向き、問題が起きるたびに義姉が呼び出され、何度も先生方と話し合いをしていたようです。新米ママの私にとって心強いアドバイザーがすぐ近くにいてくれて幸運でした。そして義兄は、孫二人ともが障害児だと悲しむ義母に「この子らはかわいそうではない、ありのままを見て可愛いがってくれたらいい」と諭してくれました。

 家族からダウン症について否定的な言葉をかけられることなく、私は娘の子育てに専念できました。それどころか二人の母から折に触れ、「しっかり育ててくれてありがとう」と感謝の言葉をもらっています。本当にありがたいことです。

  最初、娘の授乳には健常児の倍以上の時間がかかりました。ダウン症児は筋力が弱いため吸う力が弱いのです。片方のおっぱいを飲んでは眠り、しばらくすると起きてもう片方を飲んでまた眠る。そんな娘につき合って一生懸命に授乳しました。そのかいあって、ミルクに頼ることなく母乳だけで育てることができました。

 離乳食の進み方もゆっくりでした。摂食指導の先生に診てもらいながら、1年以上かかりました。おっぱいを吸ったり離乳食を食べたりというのは口周りや舌の使い方の訓練になります。いま10歳の娘の滑舌はダウン症児にしては珍しく良好で、周りの人とストレスなく会話できていますが、焦らず娘の発達成長に合わせて授乳や離乳食に時間をかけたことが良かったのかもしれません。

 娘は生後2ヶ月になると、目を合わせて微笑むようになりました。キャッキャッと声を上げて笑ったり、アーとかウーとか声を出したりもしました。満面の笑みをうかべる娘は本当に愛らしく、私の心を暖かくしてくれました。

 娘の言葉を育てるのに何が良いのか、探しました。ダウン症があっても四年制大学の英文学科を卒業された岩元綾さんのご両親の著書を読むと、たくさん話しかけるのが良い、それも正しい日本語の文章で、とあります。そこで例えば、洗濯物を干す前には「今からベランダで洗濯物を干してきます。待っててね」と声かけし、終われば「お母さんは洗濯物を干してきましたよ」と話しました。娘を抱いて部屋の中を見せながら「食器棚の中にお皿がいっぱいあります。コップもありますね」「本棚の中にはお父さんの本がたくさんあります」などと実況中継もしました。外出中もベビーカーに乗った娘の耳元で「電車に乗って○○へ行くんだよ」「電車が来たから乗ります」などと語りかけました。わたしの子育て2

 授乳するのも話しかけながらです。これはずいぶん大きくなってからのことですが、休日に授乳しながら夫の方を向いて会話していると、娘がギューっと乳首を噛んだことがありました。まるで「よそ見をしないで私を見てちょうだい」と言っているよう。慌てて「ごめんごめん」と謝って娘に視線を戻しました。

 童謡も歌いました。娘はじっと私の口を見て聞いていました。テレビはなるべく点けず、家事でそばを離れる時には童謡のCDを流しました。寝る時には娘の背中をトントンしながら歌いました。

 生後5ヶ月になって、そろそろ絵本を読んでみようと『ちいさなうさこちゃん』(ディック・ブルーナ/ぶん・え、石井桃子/やく、福音館書店)など数冊を買いました。まだおすわりができなかったので、親子で仰向けになっての読み聞かせです。娘はじっと絵を見て聞いてくれました。興味津々で集中して絵を見ている娘の様子に、絵本が分かっている! 賢い! と嬉しくなりました。ゆっくりでも着実に成長していたのです。
(たもと・ゆきえ)

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