たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第121号・2018.11.10
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豊かな心の動きがゆきかう地域に生きる子どもの戸外遊び

『かんけり』(アリス館)

 

かんけり 都心から40キロ。房総丘陵に広がる街に住むぼくの日課はウォーキング。朝に夕に足の向くまま1時間を歩く。主なコースは市街地からつらなる緑道で田園地帯から住宅地域まで全長3.6キロを貫いている。樹木が多く春夏秋冬で表情を変える風趣は歩くにはなかなかである。随所に遊具や体操具が設置されているのは今風だろうか。

 この街も少子高齢社会にすっかり変容した。それでも、昼下がりから夕暮れ時の緑道には親子連れや学童らがつどい遊ぶ。理由などないが、ぼくはほっとする。戸外に遊ぶ子どもたちを目にするのは快いではないか。何とはなしに活力をもらえるように思う。

 神無月某日、神田神保町の書店で絵本『かんけり』に出逢う。目を奪ったのは絵本判型いっぱいに大きく描かれた少女のふくらはぎ下部から右足首で、空缶の上を踏んでいる。遠景の草むらから階段下からと真剣な目つきで少女の足をうかがう学童ふたり。古びたデザインの空缶はみかんの缶詰のようだ。いわずもがな、懐かしいあのかんけりではないか。

 戦後の余燼がくすぶる昭和20年代から30年代。経済的にはないないづくしの時代であったが、存外、子どもたちは遊ぶ「空間」も「時間」も「仲間」も豊富に持っていた。終戦期生まれのぼくも学童期がそのただなかにあり存分に戸外遊びに熱中した。当時は、年齢の異なる近所の仲間がつどい10人前後の集団でよく遊んだ。遊びのほとんど年長者から代々にわたり伝わり教えられた手づくりでお金のかからない遊び。空缶ひとつあれば年中楽しめるかんけりは指折りの屋外遊びだっただろう。

 絵本『かんけり』の主人公は引込み思案のちえちゃんと元気いっぱいで勝ち気なりえちゃん。物語は、ある日、学年ちがいの近所の学童仲間7人で遊んだかんけりの顛末である。 舞台はちいさな神社の境内。鬼になったゆうたくんが30数えるあいだに6人があちらこちらと隠れる。そして鬼のゆうたくんが「たかしくん、みっけ」「みきちゃん、みっけ」と大声を発しながら缶を踏むと「つかまえた」となる。どんどん仲間たちが鬼につかまっていく。つかまった仲間を助けるために残りの者は、鬼が缶から離れるあいだに缶をけりとばさなければならない。強気のりえちゃんも「みんなをたすけにいく」と缶に向かったが鬼につかまってしまう。

 最後に残ったのは、ちえちゃんだけ。もともと、ちえちゃんはかんけりは苦手、缶をけるのがとてもこわかった。だから、かんけりをしてもだれも助けたことがない。さぁ、どうする、ちえちゃん……。

 学校でも近所でも、引っ込み思案のちえちゃんをりえちゃんはいつも助けてくれた。そのりえちゃんが「た・す・け・て」と手をふっているようだ。さぁ、どうする、どうするの、ちえちゃん?。

 「よし!」と自分に声をかけ、せいいっぱいの勇気をふりしぼるちえちゃん。目をつぶり走り出した。こうして、ちえちゃんは、「わたしが…」「わたしが、」「かんを」「ける! と缶を天高くけりあげたのだった。この一連の展開を作者は見開き12ページにわたり描き出す。迫力たっぷりの絵づくりで動画のように演出する。感動的な場面展開ではないか。

 物語を活き活きと動かすメリハリの利いた起承転結、お話を見返し裏から起こし4頁目になって扉題字が出てくる特異な構成も「おやっ」 と感じさせて面白い。

 この作品を作者は郷愁で描いたのか。現在にまだ残る子どもたちの遊戯として創作したのか。どちらにしても、子どもの戸外遊びのなかにゆきかう豊かな心が描かれた良質な作品になっている。

(『かんけり』石川えりこ:さく アリス館)

 

 

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