こども歳時記
〜絵本フォーラム第46号(2006年05.10)より〜
子どもの時間を守れるかどうかは、身近にいる大人たちの責務
 時の流れは万人に平等で普遍的なものであるはずですが、どうも子ども時代に限っては違うような気がします。子どもには特別な時間の流れがあるのではないかと、大人になればだれもが体験として気づくのではないでしょうか。
 『脳内汚染』(岡田尊司/著、文藝春秋)という本が話題になっています。近年、「脳」とつけば本が売れるというような傾向がありますが、この本は少し違います。メディアと脳とさまざまな少年犯罪のかかわりが、具体的な事件を検証して論じられています。そのエピローグに「子どもの時間は大人の時間とはまるで意味が違う」とありました。子どもの時間の流れが特別に感じられること、つまり、大人のそれよりもずっとゆっくりで、豊かで、変化に富んでいることとかかわりがあるように思えます。子ども時代の時間をどう過ごしたか、何を与えられ何を獲得したかは、後の人生に大きな影響を与えるに違いありません。

『脳内汚染』
(文藝春秋)

『りんごがひとつ』
(銀河社)
 『りんごがひとつ』(いわむらかずお/作、銀河社)は、我が子が2歳のころからお気に入りの1冊です。白黒の絵にリンゴと裏表紙だけが赤。丘の坂をなっちゃんとうさぎとりすとくまがリンゴと一緒に転がるというわかりやすいお話です。最後はみんなでその一つのリンゴを分け合い、食べ残った種を土に埋め、「きっとまっかなりんごがなるよ」と言い合って別れる……。ただそれだけなのですが、この絵本にはまさしく子どもの時間が流れている気がするのです。どこにでもあるような、でも、本当にはあり得ない不思議な体験です。好奇心や冒険、友情や希望、そんな宝物が詰まっていて、幼い子どもは自分で説明がつかなくても、何とも言えない心地よさを感じることができるのかもしれません。
 幼い子どもの脳は柔軟で吸収力があるがゆえに、メディアによって異常な刺激にさらされやすく、また、その影響が表面化するのはずっと先のことであるため、因果関係が見えにくいのだそうです。『チョコレート工場の秘密』(ロアルド・ダール/著、評論社)の中のウンパッパルンパッパ人たちの歌にもあったように、「幼い子はテレビに近づけぬこと」というのが、現代人の大きな課題かもしれません。二度とない幼き日々からすてきな時間を奪い、取り返しのつかない刺激を与え続けているのが、その子を一番愛しているはずの親だったとしたらどうでしょうか。子どもの時間を守れるかどうかは、身近にいる大人たちの責任であることを痛感します。(よねだ・いくこ)

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