たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 
「絵本フォーラム」第47号・2006.09.10
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子どもを一変させる兄弟姉妹とはどんな存在だろう。

『すき ときどき きらい』

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 少しほっとするニュースが飛び込んだ。ひとつは、今年一月から六月までの特殊出生率が前年をわずかではあるが上回ったこと。もうひとつ、保育園児にはひとりっ子が少なく七〇%を超える園児に兄弟姉妹がいるということだ。三人以上の兄弟のいる家庭も二十二%にのぼるというからなにかしらうれしい気分になる。
  この数字は、国民生活基礎調査 ( 〇四年 ) が示す児童のいる世帯の平均児童数一・七三人よりはるかに高い。共働きの多い両親を持つ保育園児がその他の児童より兄弟が多いという不思議は何を意味するか。存外、こんなところに子育ての知恵が潜んでいるのかもしれない。
  ニュースを報じた『朝日新聞』 (8.19 夕 ) は、児童福祉学者の森田明美氏から「ほかの親が2人、3人産んで育てている姿が、働き方や家庭生活のモデルとなり、『もう1人』という気持ちになることもあるのでは」の話を引き出している。小さな家庭で子育てに悩む人々の多い現在、相談相手や子育てモデルを得る可能性が保育園にはある…。ということだろうか。なるほどと頷くことができる話ではないか。

 子ども側から考えると兄弟はどのような存在なのか。六人兄弟で育ったぼくは、その存在がなかったらまるで異なる人生を送ったに違いない。遊戯の数々や肉親で年恰好が近いからできるささいな喧嘩や悪戯の類いなどを学んだのは多く兄弟からだし、善きこと悪しきこと・友との付き合い方・親の大切さ・長幼の序なども知らず知らずのうちに身につけたと思う。だから、兄弟姉妹の存在は、それだけで子どもたちを一変させるほどに影響の大きい存在だとぼくは思う。

 ところで、兄弟ははじめて登場する好敵手としての一面を持つ。赤ちゃん時代を経てよちよち歩きに片言言葉を発するようになると兄姉と赤ちゃんとの関係は穏やかでなくなる。兄姉ぶりをときおり発揮しながらも、食べもの・玩具に母親・父親の奪い合いで競い合う。で、「好き」なのか「嫌い」なのか、微妙絶妙の兄弟体験に臨み始めるのである。

 「ぼくの おとうとは まだ2歳。 とことこ あるけるけれど まだ よく しゃべれない」

 「ぼくは おとうとのこと きらいで すき。 おとうとは ぼくのこと だいすき みたいだけれど」

 東君平の童話絵本『すきときどききらい』の導入の一文である。どうやら二つ三つは年長のおにいちゃん「ぼく」が主人公で、「ぼく」が一人称で語り続ける。

 「ぼく」の弟は、お母さんを「ちゃーちゃん」、お父さんを「とおとー」と舌足らずの甘え声で呼ぶ。「ぼく」がお母さんを同じように呼ぶと「なによ おにいちゃんなのに」と笑われる。「ぼく」の大事にしているおもちゃを「やだよー」って言うのにお父さんはこともなげに「かしてやれ」という。「ぼく」がごはんをこぼすとお母さんは怒る。箸の持ち方が悪いとお父さんも怒る。弟は何でも手で食べるのに、お父さんもお母さんもにこにこ笑っている。だから、「ぼく」は、三人ともきらい、と、「ぼく」は語るのである。…分かりますよね。分かるナァ、「ぼく」の気持ち。

 両親は「ぼく」にもたくさんの愛情を寄せているのだろうけれど、小さな「ぼく」の心には簡単にはその心は届かない。…きらいな心象はつづく。弟を怒らないお父さんが、ぼくにはすごく怒る。ところが、お母さんも怒るけれど弟にも同じくらい怒る。「ぼく」の想いに、ここで、おやっと感じさせられる。弟がお母さんに怒られると可愛そうになり、弟だから怒らないで欲しいと「ぼく」は希うではないか。「ぼく」の心は微妙に揺れるのだ。だって「ぼく」は弟が好きだしお父さんやお母さんも大好きなのだから。「嫌い嫌いは好きのうち」という唄の文句があったけれど、兄弟関係のデリデリカシーは、「すきときどききらい」でなくてはならないのだろう。

 結句のフレーズがとてもいい。「おとうとはすきか」と問うお父さんに、「すきなときもあるしきらいなときもある」と応える「ぼく」。お父さんは「ぼく」を揺すぶりながら語るではないか。「そうか」、「とうさんはみんなだいすきだぞ」。…兄弟のいる家庭の風景は、ずいぶんと健康でさわやかなのである。

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