実体験と実感、そして価値づけ

 小学生の頃は、明るく元気、素直で真面目。スポ少で活躍し、成績も良い。そんな子どもでも、中学生になる頃から明るさや元気がなくなり、高校生になると 無口・不機嫌・面倒・むかつくといった振舞いが少なからず見られるようになります。時には攻撃的になったり、逆に自分だけの殻に閉じこもったりする場合だってあるはずです。

 そんな我が子の変わり様を、不安に思う親もいるでしょう。しかし、その変わり様は思春期特有の情況です。すなわち、周囲との調和・折り合いを拒みたくなる「自我」が芽生えてくるからであり、大人なら誰しも、多かれ少なかれ身に覚えがあるはずです。人は皆、そういう心の不安定な思春期を経て、志に満ちた青年期を迎えるのです。

 ところが最近、思春期をきちんと通過できない若者が多くなってきました。それは他者への共感や関わり方が極端に下手だったり、些細なことで自らの行動が制御できなくなったり、果ては薬物やリストカットに走ったりする若者です。そして、志はおろか、自信や意欲すら持てない若者です。

 では、そういう彼らに必要な物は何でしょう。一つは、子ども時代の豊富な実体験や実感ではないでしょうか。すなわち、自尊感情や社会力の基盤です。例えば、 自然の中で身体と五感をフルに使う遊び体験、家族全員での楽しい語らい、異年齢との仲間遊び、根気が必要な物作り、読書(絵本の場合なら読んでもらうことも)、小動物の飼育、乳幼児の世話、見舞い、墓参り、通夜や葬儀−。そうした実体験を通して、 喜び・安心・感謝・忍耐・達成感・いとしさ・悲しみなどを、肌で実感することが大切なのではないでしょうか。

 そういう時、大人は見守るだけで十分な場合もあるでしょう。 「よかったね、大変だったね、立派だよ」と、言葉を添えた方が良い場合もあるでしょう。もちろん、 励まし、諭し、導くべき場合もあるはずです。時には、大人の思いを子どもの心へ、きちんと 伝え刻みつけなければならない場合だってあるはずです。いずれにしても、子どもの発達過程と情況に応じて、実体験や実感を大人が上手に価値づけてあげることも必要でしょう。

 絵本「モチモチの木」 (斎藤隆介/作、滝平二郎/絵、岩崎書店 )を読んでみてください。主人公の豆太は、 夜中に外のセッチン(便所)へ一人で行けないほどの臆病者でした。そんな豆太が、祖父が急病と知るや、寒くて暗い夜道を血だらけの足で必死に走り通し、 一人で医者を呼びに行ったのです。そして病気が治った祖父は、豆太は弱虫なんかじゃないことを−、やさしい子どもであることを−、勇気のある子どもであることを−、だからモチモチの木に火がともったことを−、きちんと語り価値づけてあげたのです。

 この絵本には、「子どもが思春期を乗り越えるためには、実体験や実感を通して何を価値づけてあげれば良いか」が全て書いてあるように思います。すなわち、 誠実・責任・信頼・正義・やさしさ・勇気の4 S 2 Y です。それらが心の芯にありさえすれば、どんな思春期であろうとも、子どもは自分に自信が持てるのではないでしょうか。そして、意欲を失うことなく励み我慢し、やがて志に満ちた若者へ成長していけるのではないでしょうか。

 実際、私の 思春期の支えとなり、志の源となったのは、次の三つの言葉でした。すなわち、 恩師から言われた「 先生は、君のその勇気を一生忘れない」−。そして、母か ら言われた 「 何よりも嬉しいこと、それは心のやさしい子どもに育ってくれたこと」−。最後に、 4 S 2 Y が口癖だった 父の言葉「おまえは、私の自慢の息子だ」−。

 
「絵本フォーラム」49号・2006.11.10

鈴木一作氏のリレーエッセイ(絵本フォーラム27号より)一日半歩

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