たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 
「絵本フォーラム」第53号・2007.07.10
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人間たちのやることは何時の時代も変わらない。文学芸術を創造する人々の眼力

『ちいさいおうち』

 小説や詩あるいは絵画などの文学芸術を創造する人々の時代を捉える眼力には驚くことが多い。
  個的体験から文学的想像力を働かせる過程でときに社会通念など放てきして無頼で無法に奔ったりする作家たちもいる。現実世界の矛盾や、それへの怒り、悲観諦観の心性が本能として衝き動かすのだろうか。

 島崎藤村は深い森林をつらぬく木曽路を舞台に学問好きの青年・青山半蔵を登場させて「何か大変なことが起きる」と日本が開国する幕末嘉永の時のうねりを捉えた『夜明け前』を書いた。
  井上光晴は銃後ではあったが若者の恋あり産気づく新妻ありの庶民の暮らしが一分一秒を刻む一九四五年八月八日のただ一日だけの長崎の実際を『明日』に描き出す。
  原子爆弾投下前日のわずか 24 時間の日常…。明日のことなんて誰にも分からない。だから今日という一日を確かに生きる…。

 藤村にしても光晴にしても、まず個的な体験があり眼前の現実を見据えた文学的想像力を働かせて作品を創造している。描き上げた文学世界の凄味は同時代史として読者の心を強く射る。

 絵本作家バージニア・リー・バートンの時代を射る目も凄い。一九〇九年生まれのバートンは二十世紀半ばのアメリカを舞台に作品を創りつづけた。彼女は子どもたちの素朴な生長を謳いながら、その背景となる歴史の舞台に哀切な視線を向けていたように思う。

 『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』では紙面から飛び出すほどに展開する遊びの天才・子どもの生来の特質に目を奪われるが、都市化の波にもまれる人々への彼女のまなざしが背景に注がれているのを見のがせない。四二年の作品『ちいさいおうち』では、都市開発の名のもとに自然や素朴な人々の小さな生活が壊され奪われていく現実をより鮮明に哀切な調子の絵画構成で描き語る。

 四二年といえば、日本は太平洋戦争の真只中。ところが、連合国軍のリーダーだったアメリカでは国内が戦場になることはなかった。ただ、資本主義大国へ奔りだしたアメリカは都市が村に押し寄せていた。『ちいさいおうち』は昔話風に語られる。

 「むかしむかし、ずっといなかのしずかなところに ちいさいおうちがありました。それは、ちいさい、きれいなうちでした。しっかりじょうぶにたてられていました。」

 そうなのだ。かつて家は幾世代も連なる住処だった。見栄えだけで一世代も保てない安普請の家屋が一般的な現在の住宅と異なり、丈夫にしっかり造られた。だから、「おうち」の主人は、「どんなにたくさん おかねをくれるといわれても、このいえをうることはできないぞ」といい、孫の、その孫の、そのまた孫の代まで立派に建っていると「おうち」の将来を見渡すのである。ところが、人間が創る歴史はそれを許さない。

永い間、丘の上から周りの景色を眺めて幸せに暮らしてきた「おうち」に都市化の波は激しくおそう。夜になると遠くに見える町の明かりに「まちってどんなところだろう」と興味を寄せたりもするが、突然自動車が現れて道路を造りだしたら「おうち」のある丘の周囲は一変し、あれよあれよという間に新しい町に造り変えられる。やがて「おうち」のまわりを住宅やら学校やらお店やらと続々できて「おうち」を取り囲む。で、「おうち」には住む人もいなくなる。

 ヒナギクの咲かない町、リンゴの木もない町を好きになれない「おうち」…。忙しそうに大急ぎでかけまわる町の人々。誇りと煙に汚れた空気。「おうち」が一瞬なりと興味を持った町はとてもいやなところだった。

 大きな自然と小さな人間の暮らしはうまく共存することですばらしい。調和を失ったらどうなるか。現実社会は矛盾だらけだが、どこかでバランスを崩してきたぼくら人間への問いをバートンは 65 年も前に質している。文学的想像力の力としかいいようがない。

 バートンは絵本を子どもたちのためだろうか、哀切な思いを見事できれいなイラストにしのばせるに留めて深刻な物語に終わらせない一工夫を凝らす。すっかり都市化した町のなかの「おうち」の前をある春の朝、家族連れの婦人が通りかかる。偶然にも婦人は「おうち」の建主の孫の、その孫の、そのまた孫にあたる人だった。こうなると物語はとんとん拍子にハッピーエンドに奔り出す。

 婦人は建築屋に「おうち」の引越しを頼む。引越先は広い野原の真ん中の小さな丘。まわりにはリンゴの木もあった。新しい丘に落ち着いて「おうち」はまた、太陽の輝きや沈む夕日の美しさにふれ月や星も見ることができた。春夏秋冬の季節も正しく巡りはじめる。

 68 年に逝ったバージニア・リー・バートン、彼女が今の社会にあるなら何を思うだろう。

 「少しも変わらないのね。人間たちのやることは…」とでも語るのだろうか。

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