たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 
「絵本フォーラム」第56号・2008.01.10
●●45

「おれ、つよいぞ」。胸をはる悪餓鬼の不思議な爽快さ

『かえるくんにきをつけて』

 ずっーとずっとむかしの話。ぼくが学童期のころのこと。幼なじみにYくんがいた。

 実にすばしこくて暴れん坊。なにしろ、小学 2 、3年で宙返りをやってのけ、足は韋駄天、木登りもするするとやってのけ柿の実などを苦もなくもいでしまう。さして大きくない体であったが運動能力抜群でちょいとかわいい顔づくりの悪餓鬼だった。

 ぼくらの学童期は、始業前・昼休み時・放課後と時を見つけてはずどーんと広い運動場に飛び出して力のかぎりに体を使って遊びまわった。数人集まれば きまって リーダーがあらわれ、リーダー主導の多彩な遊びに興じることになる。

きまって 、と書いたが、人が何人か集まれば自然とリーダーとなる人材は決まる、ぼくは根拠もなく考えている。何の理屈もないのだが、打算などという観念の入る余地がなかった幼児期から大学時代までぼくの仲間たちの間では、自然にリーダーらしい一人ができた。それに、サブに回る数人と狂言回しのような役回りもできて友人関係が愉快にうまく回転したように思う。はなからリーダー資質もないのに打算や策謀で権力を握り、それみたことかと哀れにも失脚していく昨今の政治家や経済人を見るにつけて、ぼくの勝手な思いはさほどはずれていないのか、と変に納得している。

 で、Yの話。Yは狂言回しの役柄だったのだろうか。ずいぶん手前勝手で自分の傑出した運動能力をさんざ披露して「すごいだろ」と胸をはり、すいかに柿やみかんと季節感ゆたかな盗みに目をかがやかせた。腕力もひとなみ以上で喧嘩さわぎではいつも先頭をきった。Yを怖がる仲間もいたが、涙もろい一面も併せ持つYに多くは好感をもっていた。人気者だったのである。

 こんなことを回想するのは、『かえるくんにきをつけて』を手にしたからだ。五味太郎という作家はちょいと変だぞと思いながら、その変さにぐいぐい魅かれるぼくである。この絵本に描かれれた「かえるくん」はYにうりふたつで、何とも懐かしい。

 かえるくんははやてのごとく現れて、自分の得意芸をさんざやってのけると、さっさと退散する。どうやら、けんかも強いらしいし、言葉は乱暴に吐きすてる。

「よっ おれ かえるくん ゆうめいな かえるくんだぞ」。

「けんか するか? おれ すごく つよいぞ」

どうだろう。この啖呵…。テキストだけ読むとヒール役の悪童がすごんで威嚇しているように映るが、卓越したコミカルなグラフィックアートがユーモラスでずいぶんおしゃれに描かれていて小気味いいのだ。背景は白地を活かしてかえるくんの活き活きとした動きに大胆さを与えているようだ。テキスト文字も作者自身が工夫して描きだし物語を演出していく。

 さて、かえるくん。手品を見せて「すごいだろ」と胸をはり、拍手をねだる。「6」のカードを持ち出して「これ いくつだ?」と聞くくだりは、単純明快な逆さ回答に決まっている。決まっているのに「9」を出し「おお ざんねんでした!ちがいました」と爆笑まで奪うのである。

 こんな絵本を読み聞く子どもたちは大笑いで応じながら、自分でも悪戯のひとつふたつやりたくなり、のびのび生きるすばらしさにきっと心をおどらせるにちがいない。

 読み手の大人たちはどうか。幼児期・学童期を想いおこし、品行の行儀よさだけを求める現在の実際に苦味や渋味を感じるのではないだろうか。

 五味太郎は「して、やったり」とニヤッとしているのではないか。快作である。 

前へ次へ