絵本のちから 過本の可能性
「絵本フォーラム」58号・2008.05.10

第4期「絵本講師・養成講座」を
受講して

出会うべき時に出会った大切な講座
佐々木 京子 (第4期修了生・福岡)

小さな記事に私の眼は吸い込まれて

 一昨年私は、朝刊の片隅に「絵本講師・養成講座」受講生募集の記事を見つけた。それはいつもなら見逃してしまうほどの小さな小さな記事だったが、私の眼はまるでそこに吸い込まれていくかのようだった。そんな偶然と「これだ!」という直感で、お昼休みには受講の申し込みを済ませていた。

 私は、幼稚園教諭、保育士、子育て支援センターの職員と、幼児教育の現場で 20年余り働きながら、現在も母親として地域の住民としてボランティアで絵本の読み聞かせを続けている。

 元来、絵本に限らず本の形状をしたものであれば、電話帳でも時刻表、地図帳でも大好きな私である。不思議に思われるかもしれないが、電話帳ではその名前から人物を想像し、時刻表では乗り継ぎの計画を立て、また、地図帳では知らない土地を旅する。すべて頭の中ではあるが、オリジナルの物語が完成する。私にとっては愉しい遊びのひとつである。そしてその愉しみの原点は、やはり紛れもなく私にとっての絵本であり、読み聞かせなのである。

 読み聞かせの楽しさを教えてくれたのは、「母」である。母は、中学卒が「金の卵」と呼ばれ、勉強したくても進学できない貧しい環境に置かれた若者たちがたくさんいた時代の人間である。母もその中のひとりであった。「勉強を教えることはできないが、絵本を読んであげることは出来る」と言って、よく私に絵本を読んでくれた。また、寝物語に昔話を聴かせてくれた。そのひとときが至福の時であったことは確かであり、はるけき思い出が今の私を支える芯の部分を形成していると言っても決して過言ではない。いやそれだけではない。母は絵本の読み聞かせと同時に「人として大切なものは何か」をしっかりと私に伝えてくれていた。

 ここ数年来私は、幼児教育の現場やボランティア活動を通して、現代の子どもの姿、親子関係、家庭の在り方に漠然とした危機感と疑問を抱き、悶々と過ごす日が続いた。しかしそれが何なのか、自分自身でもよくわからず、人に伝える術ももたなかった。が、そんな時〈人は出会うべき時に、出会うべき人に出会う〉の言葉通り「絵本講師・養成講座」と出会ったのである。

 「絵本で子育て」センターのその精神は、私にとってはまさに「母」そのものであった。そしてその精神をしっかりと反映した養成講座は、どの編も本当に素晴らしいものであった。たしかに課題のリポートは大変であったが、その苦労を超えるくらい次編の講座が楽しみになっていた。そしてこの養成講座の中で、私の漠然とした危機感と疑問は、まるで霧が晴れるように鮮明な像を結び立ち現われてきた。

 私が抱いていた危機感と疑問とは何か。それは、子どもを愛することのできない親・会話のない家庭・生き急ぐ大人たちが営む現代社会において「人として大切なもの」を継承することが困難になっていることに対しての危機感であった。と同時に「このままでいいはずがない。どうにかできないだろうか」という疑問は、家庭に言葉を取り戻し、心をつかう子育てを実践し続けることで、少しずつでもよい方向へと向かうはずだという確信が持てた。

 そしてそれは、特に難しいことでもなく、家庭での絵本の「読み聞かせ」という親子の関わりで解決できることに気付いたのである。私は絵本の持つ力を信じ、永年絵本の読み聞かせを続けてきたが、このことに気付いた瞬間、なんとも言えない喜びが胸を満たした。

「絵本で子育て」を伝える術を知った

 つい最近私は、勤めて一番最初に担当した子どもたちと再会した。彼(女)らは、今年 30歳になる。結婚し、子を産み育てる年頃になった彼(女)らに、「絵本の読み聞かせをしてあげてね」と伝えている。  絵本は親子が一緒に楽しむことで、その力を発揮する。そしてその力は計り知れない。 絵本講師となった私は、確かな信念と方向性を持って「絵本で子育て」を伝える術を知った。まだ拙いものであるかもしれないが、同じ志を持った師や仲間がいることを励みに、さらに学びながら育っていきたいと思っている。  今私は、目の前に積み重ねられたテキストとリポートを見ながら、なんとも言えない充実感の中にいる。それは、養成講座を終えた達成感だけでなく、もっと大きな充足感である。たぶんそれは、「出会うべき時に出会えた」、巡り合いへの感謝があるからだろう。

 私にとって「絵本講師・養成講座」がそうであったように、これから受講される皆さんにとっても、「出会えてよかった」と思える講座になると、私は信じている。


前へ次へ