たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第74号・20110.01.10
●●63

もやもや、未消化の気分を快方にいざなうノンセンスの効用

『もこ もこもこ』

 2010 年も師走、働く人々には慌しい季節だが、今年の暮れはそんな商いやら人々の熱く行き交う活況とはほど遠い。円高に失業率の高止まり、学生就職内定率 60 %割れなどと景況感の悪化もあるが、筆舌できないくらい荒んでしまった状況をこの国のうちそとに見る。例えば、もう政府の体を失ったかのような内閣の無力ぶり、の明日のことは知らんと就活学生たちを門前払いする現実対応。そして、知らんぷりの世間に前途を失う老老介護家庭や、希望のない若年夫婦家庭などで惹起するおどろおどろしい事件の数々。多くが歓喜した日本人2名のノーベル化学賞受賞に、小惑星探査機「はやぶさ」がもたらした搭載カプセル帰還の快挙も一瞬にして背後に追いやる。

 とらえどころのない停滞・疲弊状況が大きく日本社会を蔽っている。科学技術の進歩はめざましい。しかし、科学技術の進展は喜んでいいが、進展は人間社会に欲をもたらしても幸をもたらすものでない。こんな実際をぼくらはずいぶんと見てきた。荒んだ状況は人間の器をはるかに超えた ” 現代 ” という怪物にふりまわされてきた人々の内から吐露されはじめているのではないか。

 文学は同時代史記述のひとつの形態ともいう。同時代に生きる文学者のたましいの喜び怒り悲しみの物語の実際が表出される傑出作品から、ぼくらは多くの内なる真実を学んできたように思う。社会や暮らしの矛盾や生きる価値、道標なども作品から感得した読書体験もあった。

 で、ならば、と絵本に向う。こんな時代の気分にはナンセンスな響きに親しむのもいいと考えるからだ。手にした一冊は「もこ もこもこ」。ちょいと可笑しな造形とやわらかな響きや音色を奏でる言葉がゆったり共鳴する不思議に気分のよくなる絵本である。

 明るい黄地を背に大口開けたぬいぐるみのような怪物が目を奪う表紙がまず平常の緊張を解きほぐす。その後も「なに !? 」「ふーん !? 」「おやおや !? 」「なるほど !? 」「へぇ !? 」「そうかい !? 」とじわり、ゆっくりのリズムでうなづかせつづけるではないか。ぼくのうなづきが正鵠を射ているかどうかは分からない。ノンセンスが相手だから当方も意味なく ” もこもこワールド ” へ浸る。

 見開き 15 面 ( 内 1 面だけ闇の黒地 ) に展開する青紫の地平 ( ぼくはイメージする ) 、そこから丸味あるふんわりした「もこ」に「にょき」が生れる。「しーん」として地平線と空だけの前見返しをめくると、「もこ」と「にょき」が誕生する。もこ/もこもこ/にょき/もこもこもこ/にょきにょき、と、いった具合に頁をめくるごとに「もこ」と「にょき」はぐんぐん育つ。なんたったってオノマトペのひびきがすばらしい。整理のつかない情報過多で悩まされる日常のもやもやを癒し吹き飛ばしてしまう力が優れたノンセンス言葉には備わっているのだろうか。

 「もこ」と「にょき」の育ちとともに広がる背景絵は、まるで、夜明けから朝、日照りの昼、そして夕から夜へ転じるように青・黄・緑・赤黄・薄紫・薄茶・墨と、やさしく柔く彩色されて変幻に趣きを変えていく。そこに、「もこ」が大口開けて「にょき」を喰らい、「もこ」から飛び出す小さな赤玉は風船に変化し、さらにまぶしく光を放つ太陽となってついには弾けてしまう。で、四方に散った光の残滓はくらげのように空に舞うという物語が描かれる ( 勝手にイメージするのだが ) 。テキストもすごい。すてきな意味のない物語を伴奏するように、ぱく/もぐもぐ/つん/ぽろり/ぷうっ/ぎらぎら/ぱちん ! /ふんわ ふんわ ふんわ ふんわ ふんわ ふんわ、と、音を打ち続けるのだ。一冊の文字数わずか 68 字のテキストは魔法のようにぼくの気分を弾ませ、ふんわりと言葉で包む配慮を見せる。

 ずいぶん薹の経った大人のぼくはこう読むのだが、子どもたちはどのように読むだろうか。言葉にリズムを感じて元気いっぱい空に想いをぶつけるのだろうか。

 で、再び、前見返しとまったく同じシーンに戻り、「しーん」とした前ぶりから後見返しに転じて「もこ」が、もこ、と再び誕生する…、往きて帰りし物語に不思議に連なるのではないか。

 かつて 60 年代、高度経済成長只中のなかで九里洋二が出現、「 11PM 」などでアニメーション草創期をリードした。ユーモアお色気豊かに、のほほん・おとぼけ・ふんわり・ぼんやりの九里アニメは激走する経済戦士たちを諌めようとする風刺であり警鐘であったかと、「もこ もこもこ」に遊びながら脈絡のない感懐に、ぼくは繋ぐのである。

『もこ もこもこ』(谷川俊太郎/さく 元永定正/え、文研出版 )

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