絵本のちから 過本の可能性

わたしが読みました(書評)

「絵本フォーラム」76号・2011.05.10

『絵本講師の本棚から わたしの心のなかにある絵本たち

舛谷 裕子(絵本講師)

 33 人の絵本講師が一冊も重なることなく、それぞれがそれぞれに、思いの詰まった絵本を紹介してくださいました。これまで、この類の書物を見掛けたことがありません。一人の方が、たくさんの絵本を紹介している書物はよく見掛けます。この読後感の違いは何だろうか、とふと思いました。

 ところで、みなさんにとっての絵本とは何でしょうか?  私にとっての絵本は家族との思い出しかありません。どの本をとっても頭に浮かぶのは、父母や兄、子どもたちです。

 幼い頃、特に取り決めたわけではなかったと思うのですが読んでもらった後は、お互いの感想を伝え合っていました。一番幼い私は、せっかく読んでもらったのに「こんなお話はいや」という感想も含め、自由に自分の意見をいっていました。どうしてそう感じたのかと聞かれたことはありますが、一度も否定されたり、非難されたりした覚えはありません。

 親になって子どもに絵本を読むようになりました。 3 人の我が子たちも一冊の本に対して、年齢や環境など違う立場で自分だけの感想を持っています。ナンセンス絵本で大笑いをする子、憤慨する子。もちろん、同じ感想を持つこともあります。自分自身が子どもの頃には気付きませんでしたが、お互いの意見を否定せずに聞くということは、自分以外の他者を認め尊重する行為だということを実感することができました。

 誰がどんな感想を持っても、「この人はこんな風に感じるんだ」とまずは相手を理解し受け入れています。否定せずに聞き、自分との違いを感じ、そして同じように感じたところを見いだそうとしています。一冊の本で共感しようとしています。それは、家族だからこそ強いつながりを感じ、より一層強い絆を結ぶためにお互いの感情の中をさまよい求め合っているように思えます。

 家族でなくとも自分以外の考えやたくさんの価値観に触れるということは、人生に幅を持たせゆたかな人間性を育んでくれます。そして、子どもの育ちに必要なものは、親や周囲の大人の愛や温かなまなざしです。しかし、親が慈しみ育てているつもりでも、子どもがそう感じているかはわかりません。子ども自身が“愛されている。たいせつにされている。家族は自分のことが大好きだ”ということを感じられているかが重要です。

 毎日少しでも、絵本を読んで貰えることは私自身がそうであったように強い自己肯定感、自尊感情を持てることに繋がります。最近では絵本を読んでいて気づくことがあります。幼い頃から絵本を読み続けてきましたが、子どもに読むときは親の立場で読んでいます。

 自分一人で読んでいるときは、誰かに読んでもらっているような気持ちになります。例えば子どもを称した“あなた”ということばがでてきたら、読んでやっているときは“あなた”=子どもであり、一人で読むと“あなた”=自分です。その他の書物ではそういう体験はなく、とても不思議な気がします。絵本は子どもだけのものではありません。大人になっても励ましてくれたり、慰めてくれたりするものです。こころの糧になり、深く深くしみこんでいきます。

 今、甚大な災害にみまわれ日本中が悲しみに包まれています。経済が停滞することを危惧しイベントを自粛しないようにといわれています。しかし、楽しむことに後ろめたさを感じずにはおられません。こんなときこそ、絵本のちからを借りるときだと思えてなりません。絵本が全てだとは決して思いませんが『絵本講師の本棚から』に紹介されている絵本は、少なくとも私たち 33 人のこころにしっかりと刻み込まれた絵本です。子どものときに読んでもらった絵本、子どもに読んだ絵本、大人になって自分のために読んだ絵本、様ざまですが一冊の絵本が人生をゆたかにしてくれたことは間違いないでしょう。

 最初の疑問に戻ります。 33 人の散文から、執筆された方々の日常を容易に想像することができます。そして、お会いしたことがなくとも考え方や価値観を理解することができ、とても親しみを感じます。一冊の絵本を通して共感することができ、たくさんの方と理解し合えた気持ちになりました。一度にたくさんの親友ができた気分です。

 みなさんも、 33 人の絵本講師の体験に触れ、そして、ぜひ自分だけのたいせつな絵本を探してみてください。楽しい旅がはじまります。

 最後になりましたが、東日本大震災で被災された地域の皆さま、福島の原発事故で被害に遭われた皆さま、そのご家族の方々に対しまして、心からお見舞い申しあげます。一日も早い復旧復興をお祈り申しあげます。皆さまのこころに平穏がおとずれますように…。 (ますたに・ゆうこ)


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