えほん育児日記
〜絵本フォーラム第76号(2011年05.10)より〜

「知る」より「感じる」心を耕して

大西 徳子(絵本講師)

  第7期「絵本講師・養成講座」の修了式 (2011年2月26日、芦屋ラポルテホール) の記念講演で梅田俊作先生が「こころが、がらんどうなんだよね……」と『心のがらんどう』についてお話されました。はじまりは人間形成期に問題があると指摘されました。  
  それから一週間も経たない3月3日、ひな祭りの日に熊本県で3歳の女児の命を安易に奪う凶悪事件がおきました。ひな祭りの日に、3歳の孫と「あかりをつけましょ ぼんぼりに……」とうたを歌い、お祝いをした祖母として、いたたまれない気持ちで報道を聞きました。子どもは親が育てたように育っていきます。親の心ががらんどうなら子どもの心もがらんどうになってしまうでしょう。  
  いつも感心しているのは、「絵本で子育て」センターの子育て現役中の「おかあさん講師」の方々は、子育てに対する信念をしっかり持って活動しておられ、絵本で育ち、絵本で子育てすると、若いのにこんなに落ち着いて素敵な母親になるのだなぁと、将来が明るく、頼もしい気持ちにさせてもらっています。
  自分自身の子育てを振り返ってみますと、周りの環境に惑わされたり、焦ったり、これでいいのかなと、自信がありませんでした。子どもと楽しく絵本も読みましたが、2人とも3歳から小学校受験のために幼児教室に通わせていました。 当時は幼稚園で知育教育などはあまりなく、子どもの通っていた幼稚園もカリキュラムがなく在園時間は好きなことをして遊んでいました。ですからお稽古や幼児教室は降園後に連れて行っていました。 時代が変わり、今は親の就労形態などの変化を受けて、幼稚園や保育所が既存の施設を活用して在園時間中や、後の預かり保育で語学教育や知育遊び、お稽古事のレッスンをする所も少なくないようです。
  受講した早期教育の功罪の講座では、ハッとさせられたこと、その通りだと納得することが多々ありました。こんな絵本講師もいてもいいかと、講座では、当時の考えや心情など、体験を経て気付いたことを参考になればと話をしています。
  紹介するのは、『沈黙の春』のレイチェル・カーソンの《わたしは子供にとっても、どのようにして子供に教育すべきかで頭を悩ませている親にとっても『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要でないと固く信じています。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知のものに触れた感激、思いやり憐み、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたび読みさまされると、次の対象についてもっと知りたいと思うようになります。そしてそうして見つけ出した知識はしっかり身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません」をお伝えしています。》『センス・オブ・ワンダー』(レイチェル・カーソン /著、上遠 恵子/訳、新潮社)
  子どもが興味を持ったこと、好奇心が沸いているようなことをキャッチして親子で楽しみ探究心を伸ばしていくのは大切なことですが、子どものために良かれと、愛情のつもりでも(身に覚えがあります)知らず知らずの間に親の思い通りに支配し子どもを追い込んでしまう。人生の主役は子どもなのに勝手に人生行路を思い描いてしまいいつの間にか子どもの考えていることとずれて的外れの親にならないように、いつも心を耕していてほしいとお願いしています。
  肥料は、柳田邦男氏が『絵本の力』(河合隼雄・松居直・柳田邦男著、岩波新書)で「生きていくうえで一番大事なものは何かが絵本のなかにはすでに書かれている」と言われている、養分をたっぶり含んでいる絵本です。
  そして人の前でお話をさせていただく絵本講師としても、『知る』より『感じる』ことの心をいつも耕しておきたいと思っています。「養成講座テキスト」を丸暗記するだけでなく、自分の考えを持った言葉で易しく語れる、幅広い視野を持ちたいです。
  もともと街角のギャラリーにふらっと入ったり、美術館に出かけたりするのが好きでしたが「絵本の魅力」を知るようになってから、絵を観る眼や自分だけの感じ方が少し変わってきました。
  先日は、前々から行きたかった「日本のへそ公園」に位置する兵庫県西脇市岡之山美術館。外観はホームに停車している三両連結の列車をイメージして設計された、絵本から抜け出てきたような美術館に行って来ました。館長さんに「絵本で子育て」センターの名刺を出し、活動の説明をしたところ、館長ご自身の絵本論を思いがけず聞かせていただけました。
  絵本のおかげで、今まで話す機会がなかった方々との出会いに恵まれることが増えました。私の心のなかに、絵本がどんどん住みついている実感が楽しくて、人生の後半、寂しくない今日この頃です。
                   (おおにし・のりこ)

前へ ★ 次へ