たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第76号・2011.05.10
●●65

ときに自然の脅威に屈服するも、強かに生き抜く人々

満月の百年』

 二〇一一・三・一一。マグニチュード九・〇。世界史上四番目とされる大地震が大津波を伴って東日本を襲う。咆哮しながら押し寄せた津波は防波堤を破壊して陸に駆け上がり、町や村をまるごと呑み込んだ。夥しい死者・行方不明者。 ( 4月 20 日現在、死者一万四〇三七名、行方不明者一万三〇〇〇名 ) 。 一カ月を経過しても必死の救出活動がつづけられ、被害の全容はまだ誰にも判らない。数十万の被災者の避難生活も見通し薄くつづく。地震は人命ばかりか、市民の暮らしを根こそぎ壊した。遠く首都圏では大量の帰宅難民も生む。未曾有の天災である。これだけでは済まなかった。大地震と津波は福島原子力発電所の電気系統も破壊し水素爆発やら放射線物質漏れの大事故まで惹起した。あのチェルノブイリ事故と規模を同じくするレベル7。とんでもない大惨事だ。あれほどに安全だと胸を張った政官財学の言質は嘘だったか。まちがいなく人災だろう。

 最悪の難から辛くも逃れた人々はどうなるか。たいして怒りもせず、諍いも起こさず、精一杯秩序だて避難生活を耐え忍ぶ人々の姿に外国世論は賛辞をおくるが、被災者たちの心情がどんなものか誰も推し測ることなどできないだろう。

 立松和平が『満月の百年』で津波の来襲を描いている。ガジュマル茂る南国の村の長老が満月の夜に子どもたちを砂浜に集めて百年も昔の大きな体験を語る物語。坪谷令子の達意の絵が舞台絵として長老の一人語りを閑かにサポートする絵本である。

 十歳時の体験だから長老の百年前は百十歳。自分の老い先が短いことを悟る長老は自分のなかに生きる体験を子どもたちに語り継がないわけにはいかなかったのだろう。で、月光に照らされながら子どもたちに静かに語りだす。

 かつての村人は海で魚を採り山で木を伐り畑を育てて豊かに暮らした。村人にとって、ただひとつ欲しいものは鯨だったという。鯨が海に現れると若者たちが船を出し入江に追い込んだ。鯨は一頭で村人の一年分の食料となる。年に一度の海からの贈り物だった。少年だった長老は鯨見小屋のある岡の上が好きだった。鯨見の小屋には世良が住んでいた。

 もう鯨がきてもよい時期なのにその年はまだ来なかった。網にかかった人魚が命乞いに海の秘密を教えたという噂を姉が聞く。「明朝、山を飲むほどの大津波がくる」という不吉な話。翌朝、村人の日常は始まるが人魚を網にかけた一家は山に逃げたらしい。

 津波がどんなものか知らない長老は不安だったと語る。岡の上に走ると怖いものでも見たのか凄い形相の世良がいた。小屋まであと一歩というとき、地面がはげしく揺れた。岩がつぎつぎに山から転げ落ちた。世良が見ていたのは水のない海だった。水平線が地平線に変わり海が消えていた。天と地が裂けるような大音響が轟く。天に向かって立ち上がった波は村に襲いかかり、船は人間ごと波に呑まれる。波は入江を襲い、村を呑みこんで山を駆け上がった。山道を逃げる人や馬も牛も家もあっという間に波に呑まれた。この世の最後の光景とは、こんなことだったかと少年だった長老は震えあがった。松にとりつけと小屋番の世良が叫び、ふたりは頭から大波をかぶりながら、ありったけの力でぐらぐら揺れる松ノ木にしがみついていたそうな。

 いつしか波はひいた。いつもどおりの海がはるか眼下にあった。世良と少年は助かった。目を見合わせるだけ。言葉はでてこない、泣くことさえできなかった。生き残った人々も家族を失う。死者を葬るにも消えてしまった。長老は悪い夢を見たようだったと子どもたちに語るのだった。

 東日本大震災の現場はどうだったか。自然はときに優しくときに厳しく、ぼくらの生に伴走する。自然はまた、ときに凶暴に襲いかかり荒れ狂う。ぼくらも自然の造物のひとつだが、自然の理の前にときに完膚なきまでに屈服する。

 長老は子どもたちに語り続ける。いつまでも、悲しみに沈んでばかりはいられない。残されたものは、どんなに苦しくても強く生きていかねばならないと語るのだ。生き残ったものが最初にしたのは力を合わせてみんなが住める家を作ること。そして、畑から積もった砂を掻きだし山から黒土を運んだ。やがて、畑に芋が育ち田んぼに米ができ、赤ん坊も生まれた。村はみごとに復興した。

 長老は未曾有の災禍に真正面から向き合って生きぬいたこと、その精神は後裔である眼前の子どもたちに脈々と繋がることをおだやかに伝えて語り終える。

 いま、東北の地で、救済・復旧から復興に立ち上がろうとする多くの被災者たちの屈することのできない実際にぼくらはどのくらい心を寄せることができるだろうか。立松は山寄りに作った新しい村がしだいに元どおりの海の近くの村になったと長老に語らせている。津波はなにより恐ろしい。けれど、村人の命を繋いできたのは海であり、海とともに暮らしてきた村人は海から遠ざかっては生きられなかったと書くのである。

 東北復興を検討する中央の人々があれやこれやと考える構想はどこに向かうか。被災現地の人々の思いはどのくらい届くのかと、ぼくには不安が襲う。

『満月の百年』(立松 和平/ 文 坪谷 令子/ 絵、河出書房新社 )

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