こども歳時記

〜絵本フォーラム76号(2011年05.10)より〜

緑の山も花さき山も 百色の緑で描けぬ春の山

 新緑の頃となり山は様々な緑に包まれています。春の山を見るのが好きで、時々スケッチブックを持って出かけます。
むかし、むかしの春も、緑の美しい山が見たくて、新婚旅行に仙台、松島、峩々温泉と東北地方に出かけました。
思い出のあの美しい海岸線、山々は、今、東日本大震災で跡形もなくなってしまいました。被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。
悲しいや辛いでは表しきれないほどの恐ろしさに、日本中がパニックになったようで、私の住む関西の山奥のスーパーまで、店の棚には缶詰やカップ麺はありませんでした。私もその中にいたようで家中のコンセントを抜き、頭の中は<ボランティア>で埋まっていました。

 これまで、私は絵本の読み聞かせボランティアを目指すかたへの絵本講座には、いつも『花さき山』(斎藤隆介 / 作 滝平二郎 / 絵 岩崎書店)を持って行き、講座の最後に読んでいました。その後、「じぶんのことより ひとのことを おもってしんぼうすると、その やさしさとけなげさが、こうして花になって、さきだすのだ。」「やさしいことを すれば   花がさく。いのちを かけて すれば 山が うまれる。うそでは ない、ほんとうの ことだ。」というせりふを繰り返し、「ボランティアの原点がここにあると思います。暇だから絵本の読み聞かせボランティアを・・・、簡単そうだから・・・、なんて思わないでくださいね。今日お話したように、皆さんは読み聞かせをする子ども達の将来を担っているのです。<本気>で始めて下さい」と言って講座をしめくくっていました。今考えるととても恥ずかしい「言いぐさ」でした。

 私も今、何もない被災地に絵本を持って行って読んであげたい。それから、つらかったこと怖かったことを聞いてあげたい。でも、<本気>で出来るのだろうか、年金の一部受給で暮らす私には交通費も捻出できず、痛み止めとコルセットで動いている身体では、笑顔で絵本を読み、お話を聞くのも難しい。気持ちと絵本だけもっていても<本気>からは程遠い。何も出来ない自分と偉そうな講座をした恥ずかしさで、心も顔も下を向いていたとき、 ラジオから流れる被災されたかたの投稿文を耳にしました。

 「私たちは何もかもなくして、つらい日々をつらい顔で過ごしています。でも、被災されていない方々まで暗い顔をしないでください。いつものように明るく元気よく暮らしてください。その姿を見て私たちは励まされるのですから」。私は私の生活をすることが大切なことだったのだ!目から鱗が、そして涙がこぼれ落ち、私は下を向いた顔を上げることが出来ました。『花さき山』の“あや”のように、自分のことより人のことを思ってみよう。“八郎”や“三コ”ほどではなくてもしっかり食べ、ぐっすり寝て身体を丈夫にしよう。 

 きっと、私にも<本気>で動ける日がくるはずだから。

(いのした・ようこ)


『花さき山』
(岩崎書店)

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