えほん育児日記
〜絵本フォーラム第79号(2011年11.10)より〜

小さな娘の無垢な瞳を見つめながら

 2011年3月11日。産後11日目、退院して実家で過ごしていた私は娘の昼寝中、母とのんびりお茶を飲んでいた。午後2時46分、突然、目眩のような揺れを感じた。それが《東日本大震災》の余波だった。直後にテレビを付けると、映し出されるのは首都圏混乱の様子。この日の朝、ちょうど夫が東京出張に出掛けたばかりだった。夫は25階のオフィスビルで地震に遭い、あまりの揺れに一瞬死を覚悟したと言う。幸い早い段階で連絡が付き、ひとまず安心した頃、徐々に震源地に近い東北地方の恐ろしい被害の様子が報道され始めた。

 テレビが映し出す映像はあまりに衝撃的だ。たった今、同じ陸地でつながった日本列島で起きている事実なのだとすぐには腹落ちしなかった。連日、地震、津波による甚大な被害の状況が伝えられる。突然、日々の穏やかな暮らし、愛する家族、温かな家、美しい故郷が奪われてしまう悲惨、痛みはいかばかりか。亡くなられた多くの方々の無念は想像もつかない。

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 また、東京電力福島第一原発事故に関しても、日を追うごとに恐ろしい事実が少しずつ明らかになっていく。物質的な豊かさや便利さを求め、それを手に入れてきた代償は、目に見えないとんでもない脅威との共存だった。何も知らなかったし、知ろうとしていなかった。私だけでなく恐らく日本中の多くの人々が、今、自分に出来ることを考えた。過酷な状況にある避難所で、互いに厳しい状況にありながらも励まし合い、前をむいて歩んでいく被災地の皆様の姿は、世界中の人々の心に何か大きなものを残したはずだ。
 一方で、一部の既得権益を守るためだけに奔走しているかのような政府、各省庁、電力会社の対応に、不満と苛立ちが募る。マスコミの情報もどこか歯切れが悪く、肝心なことが伝えられていないと感じることも多い。こんな時だからこそ、大切にしなければならない「心」をどこかに置き忘れてきた大人達がどれほど多いことか。危機に際して、人間性の本質が垣間見える。

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 目の前には生まれたばかりの娘が何も知らずにスヤスヤと寝息を立てている。未曾有の災害、恐ろしい大事故の終息への道のりは険しく困難を極める。それは、娘が大人になる何十年後、もっと先の何百年後の後世の人達にまで負担を強いるほどだ。いつか娘にもこの事について語る日が来るだろう。その時に、父と母はこの事態に何を感じ、どう向き合い、どんな行動してきたのかということをきちんと伝えなければならない。

今回、私は多くを学ぶことになった。安全性に何の疑いを抱くこともなく使い続けてきた電力のこと、それまで鵜呑みにしてきたマスコミ情報の取捨選択や裏取りの必要性、政治の在り方に対して自らの意見を持つこと、その上で投じる一票の重さ、そして本当の豊かさの意味……情けないことに、社会人になって何年も経つが、これまで自分がいかに何事も無知無関心で何となく過ごしてきたのかということに気付かされ、そんな過去の自分を猛省するばかりだ。


  
 震災以後「絆」という漢字をよく目にするようになった。「絵本講師・養成講座」でも何度も登場した「絆」という言葉。これほど困難な状況の中で最も尊い財産は、親子、夫婦、家族、地域、社会全体……人と人との「絆」だったのではないだろうか。これはあらゆる物事の本質にも繋がってくるように思う。

 私達、絵本講師の存在意義や、伝えたいメッセージにも相通ずる。この大災害、大事故で私達が失ったものはあまりにも大きい。だからこそ私達は、この経験の中で得た気付きを未来への糧にしなければならないと思う。自分や自分の家族のことばかりではなく、一人一人が当事者意識を持って地域や社会全体のこれからについて考え、行動を起こさねばならない。小さな娘の無垢な瞳を見つめながら、母として、社会人としての責任をきちんと果たそうと決意を固めた。

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