絵本のちから 過本の可能性

「絵本フォーラム」83号・2012.07.10

『絵本講師・養成講座』を受講して
—— 講座が紐解いた幼少の記憶 ——
山本 昌美(芦屋 8期生)

1974年「文学の街」愛媛県松山市に生まれる。松山城下で育ち、松山東雲短期大学保育科卒業後、大阪へ。現在、小3・小1・年少3人の子育てに奮闘しながら、保育園に勤務。その他、小学校で読み聞かせ、子育てサークルにて「ミニ絵本講座」等活動中。大阪府堺市在住。


 長男が初の誕生日を迎えたその日、私は心の中で自分に向けて「おめでとう」を言いました。この子に母にしてもらった。そして「私、母親1歳おめでとう」と。
 私が初めて彼女に出会ったのは、母親7歳を迎えた初夏でした。長男が入学した小学校で、読み聞かせ「にじうおの会」のボランティア募集があり、迷うことなく参加したそのグループのなかに彼女はいました。心身から醸し出される輝きと美しさは、絵本『にじいろのさかな』のにじうおのようでした。彼女は言いました。「絵本講師をしています」。「絵本講師」、初めて耳にした言葉でした。私は彼女に惹かれ導かれ、第8期「絵本講師・養成講座」を受講することになったのです。

                   *     *
 
 日本が激震に揺れた東日本大震災から1ヶ月経った4月下旬、私は初めて芦屋の地を踏みました。緊張で張りつめた会場で、震災で亡くなった沢山の尊い命に黙祷をささげた後、第8期は開講しました。そしてその開講式は、私にとって忘れられないものとなったのです。
 森ゆり子理事長が「皆さん、1年後はもっと素敵になっていらっしゃることでしょう」と言われたことで、私をここへ導いた彼女の輝きの理由を1つ知りました。しかしその発見の後に、講師の先生方のお話、テキストに並ぶ絵本の数々を見て、私の眼から涙が溢れたのです。そして、それは一向に止まらず、スタッフの方に声をかけられるほどでした。
 幼い頃、絵本や児童書には恵まれていました。父は欲しい本を必ず買ってくれましたし、父が選ぶ本はいつも私を虜にしました。共働きで忙しかった母は、疲れていても私に必ず読み聞かせをしてくれましたし、歌が大好きで、沢山日本唱歌を私に歌ってくれました。家族で出かける車中では、カセットテープから流れてくる唱歌を皆でよく歌ったものでした。私にとって、それはごく自然で、当たり前のことでした。
 しかし、当たり前ではなかったのです。絵本を子どもに読むことが、どんなに大切なことであるか。そのことがどれほどの愛情であるか。それに気づかされたとき、両親に感謝しなかった自分を、また、年数を重ねるだけで「母親7歳」と自身を労っていた自分を恥じました。テキストに並ぶ絵本は、両親が読み聞かせてくれていた絵本ばかりであることにも感激し、私にとって、ただ淡いだけの幼少の記憶は、輝かしく光を放ち、終いには誇らしくあるほどの記憶に変化したのです。
 興奮のもとに終えた開講式とはうって変り、第2編からの講座やリポートは、私にとっては学びの楽しさと生みの苦しみの連続でした。学べば学ぶほど、絵本の奥深さに引き込まれつつも、その学びは自身の肯定感の有無に繋がり、その殻を一枚一枚破っていく作業はエネルギーを要するものでした。
 しかし、この1年で自分の変化を感じながら、家族にも変化が見られたことが衝撃でした。私が子どもに絵本を読もうとすると、夫はそっとテレビを消し、たどたどしくも子どもに読み聞かせを始めます。復興ボランティアの為に東北へ向う夫に「変わらなければいけない」との決意を感じました。

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私はこの1年で「絵本」の表紙をめくりました。この絵本がどんな物語であるか。それはこれからの学びによって大きく違ってきます。ですから、支えてくれた両親と夫に感謝しつつ、一ページ一ページ大切に絵本をめくり続けます。
 そして、我が子に、私が出会う子ども達に絵本を読み続け、多くの大人に「絵本の力」を伝えたいと思います。                          (やまもと・まさみ)


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