えほん育児日記
〜絵本フォーラム第83号(2012年07.10)より〜

地域と繋がって生きていく

有松 孝子(絵本講師)

 「有松さ〜ん、本読んで! 今、本持っている?」と子どもの声で呼び止められました。保育所での本読みの帰り道。公園を横切ろうとしていた時のことです。
 振り返ると地元の小学校の男の子4、5人が遊んでいます。「持っているよ!」。先刻、保育所で読んできた『うしはどこでも「もー!」』(エレン・スラスキー・ワインスティ—ン/作、ケネス・アンダーソン/絵、桂かい枝/訳、すずき出版)を車座になって読みました。
 面白くて大声で笑っていると公園の向かいの知人が「何しているの?」と顔を出しました。そういえばこんな光景は以前にもありました。私の心の中にしまってある宝物のような一時(ひととき)です。

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 「絵本講師」になって4年が経ちました。私自身、子どもの頃に親に絵本を読んでもらった記憶もなく、娘たちにも読んだこともありませんでした。その私が「絵本講師」になるなんて……。
 「絵本講師・養成講座」を受講するきっかけになったのは、平成十八年に最愛の主人を亡くして無気力な生活をしていた時です。精神は鬱(うつ)に近い状態であったかもしれません。
 人は苦しいこと、悲しいこと、困難なことに出合ったとき、「頑張って!」とか「しっかりね」とかいろいろな言葉を掛けられても辛いだけなのです。本人がいつ、どんな形で自分の心の鬱屈を消化し整理できるかだと思います。個人差はあるかもしれませんが、私自身の体験から感じたことです。
 そんな折に友人に誘われて上の「講座」を受講しました。頭痛のタネは毎回の課題リポートでしたが、挫折せずに修了証書を頂けたのは友人たちと一緒の学びがあったからだと思っています。

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 私は常日頃、人との出会いを大切にし、生まれたご縁に感謝して生活しようと心掛けています。そして、今独りになってこれからどう生きていくか? どこを生活の場所にするか? と考えました。
 娘たちは一緒に暮らそうと言ってくれましたが、まだ身体は元気で行動は自在です。何より今までボランティア活動をしていたお陰で地域と繋がって暮らしてきましたので、今更新しい土地へ行くことなんか考えられませんでした。そう考えるうち地元の「お節介おばさん」でいよう!と決めました。
 私が子育てをしていた時代は、困っている人がいれば助けたり、他人の子どもでも悪さをすれば叱ったり、と温かな子育ての人垣が存在しました。しかし、現代はどうでしょう。老人の孤独死が報道されない日はなく「無縁社会」の闇が眼前に広がっています。人と関わりたくない、関わられたくないという自己中心的な人が多くなっているように思います。
 そのために社会の「絆」が壊れ、家族をも「家庭内孤立」しているようです。

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 私は夜の繁華街で未成年の子どもたちに声かけする「夜回り活動」をしています。その子どもたちの話を聞くと、家庭の中で自分の居場所が無く夜の街を彷徨(さまよ)っているのです。
 こんな言葉を思い出しました。「天下の元は国。国の元は家」(上杉鷹山)。
 小学校での本読みが5年目になります。学校の取り組みとして喜んでもらい、何より子どもたちが楽しみに私を待ってくれ、同じ時間を共有している喜びがあります。顔を覚えてもらい道で出会ったときに声を掛けられたりすると嬉しくなってしまいます。
 また、図書館の隣で開いている子育てサロンでの本読みも活動の中に入っています。活字離れのママ達に絵本の良さや大切さを伝えています。ここでも絵本の貸出数が増えたりすると嬉しくなります。
 先日、60歳以上の人が100名参加の講演会で絵本を読みました。故中川正文先生がいつも読んでくださった『すみれ島』(今西佑行/文、松永禎朗/絵、偕成社)と『奇跡の一本松 大津波をのりこえて』(絵・文/なかだ えり、汐文社)です。
 どちらも私の大好きな絵本で、特に『すみれ島』はどこでも必ず読ませていただく本となっています。自分では落ち着いて読んでいたつもりでしたが、不覚にも声を詰まらせてしまいました。
 会場には戦争体験者もいらしてハンカチで涙を拭いて感激されている人もおられました。私たちが忘れてはいけないこと、伝えていかなければいけないことを絵本を通して、孫を含めて子どもたちに伝えていこうと思います。
 私の信条である「役に立つ。感謝する。希望をもつ。そして地域と繋がって生きていく」ことを心がけて、この道に導いてくれた亡き主人に感謝しながら……。

                  (ありまつ・たかこ)

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