えほん育児日記えほん育児日記
〜絵本フォーラム第85号(2012年11.10)より〜

忘れてはいけない歴史を語る27枚の写真

 『おもいだしてください あのこどもたちを』

チャナ・バイヤーズ・アベルズ/構成・文、おびただす/訳、汐文社

岩本 努  

 「うそ寒い、まったく人気のない街をたったひとりで、とぼとぼと歩く幼な子の姿。幼な子にゆくあてはあるのでしょうか。毛編帽をかぶりバッグを肩にしょう小さな背はいかにも哀しげです。……」表紙の写真について、飫肥糺(おびただす)は巻末の訳者のことばで語りはじめる。この街は最近まで人が住んでいたようなのに、なぜ、いまは人気がないのだろうか。幼な子の歩むはるか先に女性らしき人が立っている。この子を迎えにきたのだろうか。早くこちらにおいでと言っているのだろうか。不気味さと寂しさ、悲しみをただよわせる1枚の写真がわれわれを引きつける。

 この本は、作者チャナ・バイヤーズ・アベルスがエルサレムのナチス虐殺記念館(ヤド・ヴァシェム)に収蔵される写真で構成したノンフィクション絵本である。ナチス政権下のユダヤ人の運命を写真で語らせている。したがって、ことば(説明文)はきわめて少ない。


 書き出しは「ナチスがやってくる、まえのことです。」「あのこどもたちは、こんな街に住んでいました。」「こどもたちは、学校に学び、教会ではいのりをささげました。」「そして、こどもたちは、ともだちとなかよく遊び、あるいは、ポツンとひとりぼっちで…、すわっていました。」この文に清潔な瀟洒な家並みの街のたたずまい、元気そうに太り、暖かそうな服装と靴下、靴をはいて学び、遊ぶ子どもたち、シナゴーグ(ユダヤ教徒の礼拝所・集会所)での集まりのようすなどを7枚の写真で紹介している。穏やかで平和な生活が伝わってくる。

 暗転するのは1933年、ナチスが政権を取ってからである。「それからです。ナチスがやってきたのは……。」の章はこの本のハイライト。政権奪取から、ユダヤ人の衣服の胸に黄色いアプリケを付けさせた後に、「水晶の夜」をへて、強制収容所送り、虐殺…と一瀉千里に続く27枚の写真は、「忘れないで!」「読み取って!」と叫び続ける。じっさい、1938年11月9日の夜から11日にかけて、ドイツ全土でユダヤ人への大迫害がはじまった。7500にのぼるユダヤ人の住居、商店、デパートが破壊、略奪され、約280のシナゴーグが破壊、放火され、百名近いユダヤ人が殺され、3万人近くのユダヤ人が逮捕され、強制収容所に送られた。この「水晶の夜」の事件は、ナチス・ヒトラーによるユダヤ人迫害の急進化を告げる事件となった。

 戦争末期には、収容所の数は、付属施設を加えれば1000を超え、全収容所を通して約1000万の人が殺されたという。そのうちユダヤ人犠牲者は400万人とも600万人ともいう。こうしたなかで生きのびた子どもたちがいた。「ほかの国に逃れた」り「キリスト教徒たちに助けだされた」り、「森のおくふかくにかくれ」、あるいは「ユダヤ人でないふり」をして。これがこの本の終章である。

 こうした子どもたちがいたことを「おもいだしてください」というのが著者の訴えである。すべてが貴重な写真の証言。なかにはナチス親衛隊員と思しき人物に、子どもと子をかばう母親が背後から射殺される写真もある。だれがどのようにして撮影したのだろうか。これは、狂気がみなぎる収容所のなかにも、死を覚悟で冷徹な殺戮機構をつくった人間の歴史を残そうとした人間がいたことを証明している。

 ひるがえって、わが日本と日本人。ユダヤ人の悲劇と無関係だったのだろうか。アウシュヴィッツ収容所長R・ヘスの戦後の告白によれば、「SS(ヒットラーの親衛隊)の訓育においては、国家のため、そして同時に彼らの神でもある天皇のため、自己を犠牲として捧げる日本人が、輝かしい模範として強調された」という。(宮田光雄『いま日本人であること』岩波書店 同時代ライブラリー)
 また、1942年の末頃、ナチス宣伝相ゲッペルスは、彼が編集する週刊紙『帝国』の巻頭言にこう書いた。「われわれが国民意識と宗教心とを完全に一致させるエネルギーを生み出さなかったことが、われわれの国民的不幸である。われわれの望むものが現実にどんなものかは、日本国民にみることができる。…戦死した英雄たちのヒロイズムを国民的神話に拡大するような、戦死者にたいする宗教的義務を、われわれは、残念ながら、まだ所有していない」と。…ゲッペルスが求めているのは、あきらかにヤスクニの祭りであり、国家神道と結びついた天皇神格化の神話こそ彼の思い描く国家宗教のモデルだった。(宮田光雄『アウシュヴィッツで考えたこと』みすず書房)
 日本と同盟関係にあったナチス・ドイツのことは論じられても、そのドイツが精神の支柱に天皇制やヤスクニに求めていたということはあまり検討されていないのではないか。歴史と向き合うとはこういう問題も見当し俎上に載せるということである。現在、南京事件をめぐり、大量虐殺どころか事件そのものの存在を否定するという、国際的にはまったく通用しない論理を展開する自治体長やそれを応援する元総理の発言が伝えられたりする。これは歴史の検証や責任追及が国民規模できちんと行われてこなかったことを示している。その課題に取り組むためにも本書は大きな示唆をあたえてくれる。 (いわもと・つとむ)

プロフィール
 1942年静岡県の西部の山峡(現浜松市)に生まれる。早稲田大学第一文学部、同大学院文学研究科教育学専攻博士課程修了。ほるぷ総連合・教育開発研究所に20年余勤め、家永三郎編『日本の歴史』、『復刻国定教科書・国民学校編』などの企画・執筆にあたる。退職後2012年3月までの20年間は法政大学、中央大学、都留文科大学、立正大学の非常勤講師。日本思想史特論、社会科教育論などを担当。現在は立正大学非常勤講師。主要な著書に『御真影に殉じた教師たち』『教育勅語の研究』他。編著に『日本平和論大系』(全20巻)、『家永三郎集』(全16巻)、『日本の子どもたち』(全5巻)など。現在『ビジュアル版学校の歴史』(全4巻・汐文社)を編集・刊行中。


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