小出裕章氏講演会リポート (報告・弓立瑶子)

2014年6月8日芦屋市保健福祉センター

子どもを愛するすべての人へ


   

 
    小出裕章(こいで・ひろあき)
◆1949年、東京生まれ、東京育ち。高校生の頃、人類の未来は原子力の「平和」利用によって築かれる、そして「唯一の被爆国」である日本人こそが「平和」利用の先頭に立たなければならないと固く信じるようになる。1968年、嫌いな東京を離れ、東北大学工学部原子核工学科に入学する。その後、大学闘争と出会い、細分化された学問の実態に接することなどにより、自分の思い込みが誤りであったことを思い知らされる。
◆1974年に京都大学原子炉実験所助手になる。現在、同助教。
◆著書に『隠される原子力・核の真実|原子力の専門家が原発に反対するわけ』(創史社・2010)『放射能汚染の現実を超えて』(河出書房新社・2011)『原発のウソ』(扶桑社・同)『原発はいらない』(幻冬舎ルネッサンス新書・同)など多数。
       

 

 

 

 

 

 

 


  私たちが生きている地球という「星」を命がけで守ろうとしている人、それは京都大学原子炉実験所の小出裕章先生です。先生は原子力研究者として長年原発反対の立場から発言を続けてこられました。この度、ご多忙な先生に芦屋でご講演頂き多くの方々と学びの時間を持つことができたことに感謝いたします。

 2014年6月8日(日)、芦屋市保健福祉センターに於いて、小出裕章氏の講演会が開催されました。参加者は140名。先生の強く熱い生き方から真実を学ぼうとする皆さんの静かな熱意でしょうか、会場には緊張感が漂っているように思えました。  「子どもを愛するすべての人へ」のタイトルのもと、人類による核開発の歴史と現在に至る道のり、人が造り出した原子爆弾の威力と危険性、広島と長崎の原爆の惨状、原子力発電の仕組みと危険について、更に福島で起こってしまった事故と被害について、事実をわかりやすくお話ししてくださいました。

                   ◆   ◇   ◆
 
 世界中の核開発、国家の意図、原発の存在について私たちが知らないことは多く、原発反対の声が政府を動かす講演する小出裕章氏ことは困難です。被爆国である日本で核技術を受け入れる矛盾、地震列島に起こりうる原発事故の大惨事と人間の無力さを改めて思い知った私たちは、失うものの大きさに改めて驚くばかりでよいのでしょうか。  福島の汚染は収束していませんし、子どもたちの健康被害はまさに懸念されていることです。事故現場で今なお被爆覚悟で過酷な労働を担う方たちに国の保証は無いそうです。命に関わるような様々な危険を容認しながらなおも原発を推進、輸出しようとするのはなぜでしょうか。事故はなかったことにはならないし、私たち大人が利益を追求した後に残される、とてつもなく危険な施設の残骸や廃棄物の代償を担うのは、未来を生きる子どもたちだというのに……。 。


 先生は |人が生きるとはどういうことか| と問いかけ、一冊の絵本を引用されました。『花さき山』(斎藤隆介/作、滝平二郎/絵、岩崎書店)です。スクリーンに映し出された花さき山の風景に池田加津子理事の朗読が重なります。 《つらいのを しんぼうして、じぶんのことより ひとのことを おもって(中略)その やさしさと、けなげさが、こうして 花になって、さきだすのだ。(後略)》「優しい」とはどういうことでしょう、他者の犠牲の上でなく、自分がどうやって生きるか考えて行動することが大切なのだと。日本が間違った道を歩まぬように警鐘を鳴らし続ける先生の視線の先には、いつも未来を生きる子どもたちがいるのです。多勢に流されることなく、自分の信じた道を貫く先生の強靭な意志の奥底にある「優しさ」に通じると感じたのは私だけではないはずです。

                   ◆   ◇   ◆

 休憩をはさんでの質問の時間には、子どもから大人までの様々な問いに、言葉を選び、時には沈黙もあり、先生の言葉でお答えくださいました。  先生の最後の言葉「子どもたちを守ってあげたいのではない。今、子どもたちを守らないなら、私は自分を許せない」が、胸の底に残りました。原発について、福島について知り、自分で考えて今を生きるとはどういうことなのでしょうか。誰もが宿題をもらった90分の講演は小出先生への感謝の拍手に包まれて終了しました。(ゆだて・ようこ)


  

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