たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第96号・2014.09.10
●●85

大人には歌えない…。沖縄の少年に諭される平和とは。

『へいわって すてきだね』 (ブロンズ新社)

へいわって すてきだね あの戦争における責任を語らない。不戦の誓いはしない。8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式の式辞で、昨年に引き続き首相は歴代首相が語ってきた言葉を避けた。そりゃそうだろう。武器輸出三原則をなしくずしにする。集団的自衛権の行使容認に動く。歴史にきちんと向き合わない。日本国憲法は解釈変更する。自らの信念に固執する首相にとってそれは整合性のある式辞となるのだろう。
 武力による威嚇・行使を永久に放棄する、戦力は保持しない、国の交戦権は認めないと宣言したぼくらの憲法第九条。この九条に守られて日本・日本人は戦後69年間、戦争によって人を殺すことも殺されることもなかったのではなかったか。平和な日常を獲得したのではなかったか。平和は目に見えない、音も出さない。平和とは何か、を考えないのが平和に生きる人々の自然な心の動きなのかもしれない。しかし、しのびよる穏やかでない動きにぼくらは無関心であってはいけないと思う。
 日本各地に配置される米軍基地の75%の土地を負担するのが沖縄だ。世界の紛争に参戦する米軍を目撃する沖縄県の人々は未だに戦後の平和を獲得していない。県民の声を踏みにじる辺野古基地建設も県民の反対の声を踏みにじるように終戦記念日を前に強行されはじめた。なにをかいわんや、だ。
 だから、沖縄の人々の平和への思いはいつも偽りのない透明な心情で語られ、何としても獲得しなければならない切実な希望となる。そんな沖縄でも与那国島の6歳の少年は日常に平和を捉える。「へいわって なにかな/ぼくは、かんがえたよ …、やさしいこころが にじになる/へいわっていいね」と歌うのである。
 安里少年の詩は大人たちの嘘っぽい雄弁を毅然として拒否する。つむいだ言葉は少年の身近に散在する虚飾を排除したやさしい言葉の数々だ。…ともだち、なかよし、かぞく、げんき、あそぶ。
 で、「ねこが わらう/おなかが いっぱい/やぎが のんびり あるいてる」「けんかしても/すぐ なかなおり」と歌いあげ、「へいわってうれしいね。/みんなのこころから、へいわが うまれるんだね」とメッセージを送るのだ。
 正直に、まっすぐに、元気いっぱいに歌いあげる詩に、ぼくのような大人はどう対応していいのか、いささかうろたえてしまう。そして、「せんそうは、おそろしい/『ドドーン、ドカーン』/ばくだんが おちてくる こわいおと」「おなかがすいて、くるしむこども/かぞくが しんでしまって なくひとたち」と正しく諭されるのである。
 大人たちが我欲に翻弄されて失いがちな秩序や正義の心性を沖縄の少年はかがやくばかりに言葉につむぎ、平和への希望として歌った。大人たちに正直に生きろ、と諭すように…。
 詩作の安里有生くんは、昨年の6月、沖縄全戦没者追悼式でこの詩を朗読した。当時、小学一年生。平和への願いと希望の歌は、高らかに沖縄の高い紺青の空にひびきわたったにちがいない。ぼくは彼の詩をまっすぐに受けとめる。なかなかむずかしいことだが、残る短い人生を、安里くんのようにせいいっぱい正直に生きたいと思う。
 そして、安里くんの詩にまっさきに感動して絵本にすることを思い立った長谷川さんに拍手しよう。構成された絵は見事に詩歌に共鳴して協同している。しみじみと、「へいわって、すてきだね」と思う。 (おび・ただす)

『へいわって すてきだね』
(ブロンズ新社)

 

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