えほん育児日記

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~絵本フォーラム第99号(2015年03.10)より~  第5回

笑って育って春が訪れますように

笑って育って春が訪れますように

 三月。立春からの寒さの間、春は名のみの……と待ち焦がれていた季節がやってくる。

 学校は、学年末。我が家の長男は中学2年生。3年生での職業体験学習を前に、希望の職種や体験を希望する場所への事前インタビューの依頼状を、先生が用意されたフォーマットに従って一人ひとりが書く。年末までは「別にやりたいことなんて……」と言っていたが、第一希望を市立図書館に決めた。お世辞にもきれいとは言い難い文字で、前文、依頼内容、希望理由などを緊張しながら一生懸命書いている。見知らぬ大人に自分の名前を明記して用件を伝え依頼する。私でも緊張する。将来どんな仕事をするかわからないが、とてもいい経験をしているなあと思う。

 長女は4年生。今年度最後の一大イベントは、二分の一成人式。ある日、ずっと探し物をしていると思って見ていたら、「これまでで一番の宝物」を学校に持っていくという。「それがどうしてもみつからないの。だからケーキちゃん持っていってもいい?」。彼女が4歳の誕生日に、私が作って贈った小さなお人形のことだ。「もちろん。なんか嬉しいな」と私。(でも、人形は二番目の宝物だったんだね)。

 子どもは10歳まで親に育ててもらう。その後の10年は自分で育っていくと聞いたことがある。ここからは私はよきサポーターにならなくちゃね。

 そして末っ子は2年生。低学年だけにある生活科の授業のまとめは、「ぼく・わたしの生まれた時のこと」。家ではいつでも末っ子だけど、何事もいつもじっとよく見て聞いている。すべてにじれったいほど時間をかけて育ってきた私の赤ちゃんは、いつの間にか「昼休みの鬼ごっこが一番好き!」、とすっかり男の子になった。

 私たちにとって、3月はただ嬉しく春を待つだけの月ではなくなったことを思う。1月17日、そして、3月11日。  私は本棚に並ぶたくさんの絵本や本に視線を運ぶ。春をよろこぶ明るい絵本。私の大好きないちごの出てくる絵本たち。そして、震災の後に書かれたいろいろな絵本と、あの地震のあとに出会った何冊もの絵本。いのちのこと、自然のこと、友達のこと。ただ感傷で読むのではない。追悼だけでもない。

 昨年秋、私は旅行の二日目ひとりになって、石巻、日和山を訪れた。よく晴れた日だった。公園の小高い山の上に神社があり、七五三の着物を着たかわいい女の子とご家族に会った。「おめでとうございます」、思わず声をかけて、それからそのまま海の見える方へ向かった。20年前の1月、私は神戸にいた。あの冬、私は通勤のために寸断された電車を乗り継ぎ焼け野原を歩き、崩れたビルをパワーショベルがむしりとっていくのを映画の特撮か何かのように横目に見て通った。でも、それからの神戸の4年間を思い返すと、石巻の海を見下ろしてひとりになった私は、ただ泣くことしかできなかった。

 忘れたい人もおられるだろう。尊い思い出に、触れてもらいたくない人もおられるだろう。けれども、私たちはやっぱり、みんなでちゃんと知っていたいと思う。みんなが心の底にしっかり覚えていて、その上で他のいろいろなことを考えたり話し合ったりしていかなくてはならないのだと思う。

 決して昔に終わったことではない。私に関わりのないことじゃない。決して心無く口にしたり、粗末に扱ったりはしませんから、どうぞ、語り継がせてください。私に絵本を読ませてください。私の子ども達と、私の周りの人たちと、私の思いや知っていることを話し合わせてください。

 願っていることは、お日さまの下で笑い声が響き、花や作物や生き物が育ち、子ども達と子どもを見守る大人たちがしあわせであるように……。そんな春がきますように……。


(くまだき・かよ)

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