交流のない親子・地域社会
 そういう消費の単位の中で、子どもたちはどのような生活を余儀なくされているのでしょうか。子どもと大人が同格になってしまったのです。お父さんは巨人戦を見てビールを飲んでいる。子どもはパソコンをいじりながら、全く違う情報を引き出して楽しんでいる。そういう状況では、大人と子どもの交流がほとんどないのです。例えば大人が子どもに対して、「○○しなさい」と言いつけるようなことは、家庭の中からなくなってしまいました。こういう社会の変化が、子どもの育ちに大きな影響を与えたわけです。
 今、家庭教育が大事だ、家庭こそが子どもを育てるんだと、政府が盛んに言っています。地方の教育委員会もそうですし、あるいは学校も言うかもしれません。しかし、かけ声だけではどうしようもないのです。今や家庭に教育力などはなくなってしまったと言われる学者やジャーナリストが大変たくさんいらっしゃいます。どのようにして子どもを育てていけばいいのかということが一番大事な問題だとして、様々なところで議論がなされ、いろいろな試みが始められています。
 一つは、もう一度子どもの育ちというものを社会に引き戻す運動です。皆さんの読み語りという活動もその一環ではないかと思います。もう一度、みんなで子どもを育てるという地域や社会をつくっていこうということです。「子育てには、村中の人の力が必要だ」というアフリカのことわざがあります。また、「地域社会とは、人生の予習の場であり復習の場である」という言葉もあります。昔、例えば村の誰かが死んだら、小さな子どもたちはお葬式に行き、花を持つなど、様々にすることがありました。そのときに初めて、人間というのはこの世に生まれて、人生を過ごし、最後はこの世からいなくなるんだということを学習するわけです。
 今は、そういうことがなくなってしまいました。その中で育った子どもは、人の死というものが理解できません。人間が死ぬという状態はどのようなものか見てみたい。人間の血というのはどんな味がするのか、一度なめてみたい。そういうことが、実際の事件として世の中に表れてきています。そういう事件が起こると、世間はショッキングなニュースとして受け止めます。「大変な子どももいるなぁ。うちの子どもは大丈夫だろう」と思われている方も多いでしょうが、私から言わせると、ごくごく普通のことではないでしょうか。現在の家庭、社会がそういう子育てをしているのですから、何ら不思議なことではないと思います。
 例えば、今問題になっていますが、神戸の連続児童殺傷事件を起こし、酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)と名乗った少年が年内にも仮退院になる見通しだというニュースがありました。社会はそれをどのように受容するのか、あるいは拒否するのか、様々な意見があります。現代のような社会においては、彼は決して特異な存在ではなく、「たまたま自分の子どもはそうならなかったのだ」と考えるほうが正解であろうと、私などは思います。それぐらい、子育ては大変な時代を迎えているのです。
今の子育て世代を育てた親のあり方
 私は今、55歳ですが、ちょうど私の子どもの世代が子どもを産む年頃になってきました。現在、子育てをしていらっしゃる若いお母さん方というのは、私の親ぐらいか、それよりもう少し上の人を親に持っている世代です。バイリンガルにしようと英語を教えている、金髪にしている、ピアスをしている。そういうお母さん、お父さんを一方的に非難しているのでは決してありません。そういうお母さん、お父さんを育ててきたのは、我々の世代であり、我々の社会であったのです。そのような育て方しかできなかった我々の世代、我々の社会が、今のような状況を生み出してしまったのです。そのことを厳しく反省しなければ、我々に現在の子育てについて語る資格はないと思っています。
 ですから私たちは、絵本を売る、読み聞かせを普及するという活動を進めているのです。決して格好良く言うつもりはありませんが、それは自分たちがつくってきた社会、自分たちが育ててきた世代に対するしょく罪であろうと思っています。「そんなことを言って、商売だから、本をたくさん売りたいのだろう」と思われるかもしれません。確かにたくさん売りたいと思っています。しかしそれ以上に、たくさん売らなければ、日本全体がだめになってしまうと思っているのです。現在の子育ては、もう待ったなしの状態で、危機に瀕しています。いえ、すでに「危機に瀕している」というような状態を通り越してしまっているのかもしれません。そういうことを知っておいていただきたいと思います。
人間になれない子どもたち
 ついこの間、『人間になれない子どもたち−現代子育ての落し穴−』(エイ出版社)という本が出版されました。ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。昔は「大人になれない子どもたち」というフレーズはよく聞きました。テレビでも、そういうモラトリアムの問題は社会問題として取り上げられました。しかし、今や「大人になれない子どもたち」どころではありません。「人間になれない子どもたち」が急激に増えてきているのです。
 この人は、清川輝基さんという方です。NHK放送文化研究所の専門委員で、慶應義塾大学の講師もしていらっしゃいます。この人が最も強く言っているのは、2歳以下の子どもにテレビやビデオを見せてはいけないということです。NHKという、テレビの番組をつくっているメディアの側の人間が、2歳までの子どもには絶対に見せるなと言っているのです。テレビを見せることによって、子どもにとんでもない影響を与えてしまうということを、講演会活動などを通して訴えていらっしゃいます。
 清川さんは、講演会でよくこういうテストをされます。このように両腕を肩の高さまで上げて、真横に広げてみてください。そして、人差し指だけを内側に曲げます。目をつむって、ゆっくりと左右の人差し指の先をピッタリと合わせてみてください。できましたでしょうか。この実験は「閉眼接指」といって、筋肉感覚のレベルを調べるものだそうです。昔、子どもたちはこれを当然のようにできました。しかし今、これができない子どもが増えているのです。つまり、脳からの指令がきちんと筋肉に伝わらない子どもたちが大量に増えているということです。それもメディアの問題ではないかという警告を発しています。
 今、この人たちが参加しているメディアリテラシーの研究会、あるいは小児科学会などが協力して、2歳ぐらいまではテレビを見せてはいけないと、小さな声でおそるおそる言い始めました。アメリカではずっと前から、小児科学会が、小さな子どもにテレビやビデオ、ゲームなどのメディアを触れさせることについて、強い警告を発していました。ところが残念ながら、日本では、そこまで強く言う人は、今まであまりいませんでした。ようやく、そのような警告が発せられ始めたところです。
 もう1人、我々とともにいろいろな活動をしていただいている片岡直樹さんという人がいます。川崎医科大学小児科の教授です。この人も、2歳までは絶対にテレビを見せてはいけないとおっしゃっています。この人が警告しているのは、小さな子どもがテレビの残酷なシーンを見続けていると、残酷なものを残酷だと理解できなくなってしまう、あるいは、暴力シーンなどを見せ続けていると、そういうことが平気な人間になってしまう危険性があるということです。つまり、感情が麻痺してしまい、想像力や創造力がなくなってしまうということなのです。
 そして、この方はもう一つ恐ろしい警告を発しています。この人の小児科にご相談に来る方の中で、3歳になっても4歳になっても言葉が出ない子どもたちが増えてきたのです。ご存じのように、子どもは普通、半年か1年ぐらいで喃語が出てきます。そして1歳か、少し遅れたとしても、2歳か2歳半では、初語という意味のある言葉を発するようになります。これが、子どもが言語を獲得していく過程です。その最も大切な2歳までのときに、テレビやビデオに子守りを任せてしまうことによって、新しい言葉の遅れというものが出てきたのです。
 片岡さんは、このメディアによる新しい言葉の遅れを、“自閉症もどき”と命名しています。難しい言葉で言えば、自閉症類似、あるいは注意欠陥多動性障害類似と言います。自閉症というのは、明らかに病気です。そういう症状が出て、お医者さんにかかったら、きちんと「自閉症」と診断されます。メディアに子守りをさせたことによって生まれてきた言葉の遅れは、自閉症と同じような現象を子どもの心や身体や脳に与えているのです。
 そのためのアドバイスとして、この人は何を言っておられると思いますか。ほるぷの本を買って読めとは言っていません。もっと外遊びをしなさい。もっとお父さん、お母さんが語りかけなさい。そのことが一番大事だということをおっしゃっているのです。そして、我々もそういうことを言っています。
 それから、日本大学の森昭雄さんが書いた『ゲーム脳の恐怖』(日本放送出版協会)という本があります。もう少しきちんとした臨床実験が必要ではないか、データの組み立て方に問題があるのではないかという批判はありましたが、大変な売れ行きでした。
 「ゲーム脳」というのは、子どもがゲームをするとき、コントローラーのボタンを叩きますね。普通、ボタンを叩くという行動は、脳からの指令に従って、指先が反応するわけです。何でもそうです。ところが、ずっとやり続けることによって、脳は動かず、手だけが動くようになってしまうのです。この現象を、彼は「ゲーム脳」と言っています。
 だからといって、一概にゲームが悪いと言うわけではありません。テレビやビデオが悪者だと言うわけではありません。しかし、少なくとも子どもがまだ小さいころには、テレビやビデオなどのメディアはちょっと横に置いて、絵本の読み聞かせや、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんの語りかけなど、愛情あふれる言葉をいっぱいかけてあげながら育てなければいけないと思っています。
伝えていきたい子育てを再現してくれる読み聞かせ
 私が子どものころ、絵本がたくさんあるなどという家はほとんどありませんでした。私の家にも、全くと言っていいほどありませんでした。では、そのころの人たちは、どのように話を聞いたのでしょうか。両親が激しい労働をしている中、おじいちゃんやおばあちゃんにおんぶしてもらいながら、子守歌やお話を聞いたという経験をお持ちの方が、我々の年代にはたくさんいらっしゃると思います。あるいは、労働を終え、団らんのときや寝るときなどに、お母さんやお父さんに話をしてもらった経験もあるでしょう。そういう経験を通して、我々は「かちかち山」を覚えているのです。「花咲かじじい」も知っているのです。「一寸法師」の歌だって歌えるのです。語ってくれたお話が、歌ってくれた歌が、我々の頭の隅っこに逐一残っているのです。
 それはもちろん、「50歳になっても覚えておきなさいよ」ということで教えてもらったわけではありません。生活の中で、子どもにとって最も豊かな時間を過ごしているときに、自然に体の中に、脳の中に、心の中に染み通り、蓄積されていったのです。だから、「ああ、こんな話だった」と思い出すことができるのです。私は、楠木正成と正行の「桜井の別れ」の歌だって歌えます(笑)。私の家は農家でしたが、おばあちゃんがおんぶをしてくれて、そんな歌を歌ってくれたり、「かちかち山」や「一寸法師」のお話をしてくれたのです。
 それは人間が育っていく上で、どう大切なのでしょうか。一つのストーリーをきちんと覚えておくことではありません。語ってくれているときのおじいちゃん、おばあちゃんの姿や、そのときの風のそよぎ、日の光までも思い出すぐらいに、なぜ鮮明にその情景が頭の中に入っているのでしょうか。親と子が、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんと子どもが心から触れ合える豊かな時間こそ、子どもたちの育ちに大変大きな影響を与えるということなのです。
 今、「かちかち山」などの昔話を空で言える人は、専門家か研究者か愛好家です。教えられていないものは話せません。これは仕方がないことです。では、今、何が必要なのでしょうか。読み聞かせ、読み語りなどを通して、子どもたちに伝えることなのです。そして、それからもう一歩踏み出して、家庭の中で親が子どもに話をすることなのです。しかし、今の20代や30代のお母さん、お父さんに「昔話をしなさい」と言ったって、それは無い物ねだりです。西条八十ではありませんが、「歌を知らないカナリヤ」に歌えと言っても、それは理不尽なことです。だからこそ、絵本を使ってほしい、絵本をもっと読んであげてほしいと思っているのです。
あふれる情報、さまざまな絵本
 絵本については、皆さんご専門ですから、私からお話しすることはほとんどありません。ただ、現在の絵本の動向について、一言申し上げておきたいことがあります。今、絵本の創作活動の中で、「昔話の残酷さはいけないから、ハッピーエンドにしましょう」「悪者が殺されるのはいけないから、心を入れ替えたという話に書き換えましょう」という動きがあり、ちょっとしたブームになっています。そういう改ざんをしている作家がおり、その本がどんどん売れているのです。皆さんが読み語りで使っていらっしゃる良質な絵本ではなく、そちらの絵本のほうがちまたにはあふれてきました。
 『長崎ぶらぶら節』(文藝春秋)で直木賞を受賞したなかにし礼という作家がいます。あるとき、彼がそういう作家と話しているのをテレビで見ました。なかにし礼は軟弱な男だと思っていたのですが、なかなかいいことを言うのです。その改ざんをしている作家に向かって、「あなた、そんなことをしてはだめよ。残酷なものは残酷でいいんだよ。もし、あなたが作家で、物語をつくりたいのだったら、あなたのオリジナルなものをつくりなさい。あなたがやっていることは決してほめられたことではない」ということを言っていました。正論です。今、世の中がおかしくなってきていると同時に、おかしなものもどんどん出てきています。もちろん皆さん、何がいい本なのか、何がジャンク本なのかという取捨選択はきちんとされていると思います。しかし、世の中の流れとして、そういうものがいっぱい出てきています。そのような非常に危険な状態になっているということをお伝えしておきたいと思います。
人生で三度読む絵本
 それから、私どもがとても大事にしている本の1冊に、『本が死ぬところ暴力が生まれる−電子メディア時代における人間性の崩壊−』(新曜社)というものがあります。バリー・サンダースというアメリカの学者が書いた本です。彼がこの本で言っているのは、読み聞かせや読み語り、スキンシップをしないで育った子どもたちが直にメディアに触れていくと、考える能力をなくしてしまうということです。彼は「識字」という言葉を使い、そういう子どもたちは識字の世界に入っていけないと言っています。識字の世界に入っていけないということは、すなわち人間になれない子どもたちが生まれているということです。このことを彼は一生懸命訴えています。もうお読みになったかもしれませんが、もしまだでしたら、ぜひ読んでいただきたい1冊です。読み聞かせ、読み語りをされていらっしゃる方のバイブルのような本です。
 つまり、本を読まないと、考える力がつかない。考える力がつかないと、人間になれない。そういう人間が、平気で殺人を犯したりするようになってしまうということです。「電子メディア時代における人間性の崩壊」というサブタイトルがついていますが、まさにこの危機がこの国を覆っているのだと、私どもは思っています。
 もう1冊、ご紹介しておきます。河合隼雄、松居直、柳田邦男という現在の絵本界、児童書界を代表する3人の方の講演・討議の内容を収めた『絵本の力』(岩波書店)という本です。これは皆さん、全員が読まれていますよね。この中で、柳田邦男さんがいいことを言っています。絵本は子どものためだけのものではない。絵本とは人生で3回読むものだ。
 「まず自分が子どもの時、次に自分が子どもを育てる時、そして自分が人生の後半に入った時。とくに人生の後半、老いを意識したり、病気をしたり、あるいは人生の起伏を振り返ったりするようになると、絵本から思いがけず新しい発見と言うべき深い意味を読み取ることが少なくないと思うのです。生きていくうえで一番大事なものは何かといったことが絵本の中にすでに書かれているんですね」
 絵本は小さな子どものためだけにあるものではありません。大人も子どもも、みんなが共有できる一つの文化財であり、芸術なのです。先ほど言いましたジャンク本は別にして、良質な絵本は、子どもの目や心を通して描かれた純粋な世界です。それは、子どもたちにとってすばらしい世界であるのはもちろん、大人にとっても、自分の人生を振り返り、また新たな発見をすることのできる世界なのです。そういうことも、多くの人に伝えていっていただければと思います。
 以上で終わります。ありがとうございました。(拍手)

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