グランマからのおくりもの

−第5回−
子どもたちの笑顔に明日を夢見ます


 今年の夏は、ほとんど夏らしい感じもなく、いつの間にか過ぎ去ってしまいました。日本は四季の移り変わりが鮮やかで、それぞれの季節の表情に風情がありますが、近頃は地球温暖化が進んでいるためか、不安定になってきたように思います。長い年月、私たちの日々の生活に寄り添うように存在していた季節感が失われていくようで、とても気になる2003年の夏でした。
 テレビを含む情報機器が急速に進歩した今日の社会環境は、速度と利便性という面では大いに発展しましたが、一方では、地域特有の「個性」というかけがえのない宝物を見る見るうちになくし、画一化する方向へ進んでいます。
 北から南へと縦に長い日本の国は自然環境の違いも顕著で、その違いに根ざし生まれた様々な文化や知恵が、長い年月をかけ磨かれてきました。その磨かれ受け継がれてきた多くの事柄も、機器の進歩の影響を大きく受けて普遍化し、個性をなくしつつあります。これは日本だけではなく、地球規模で同じような現象をみせています。このような社会環境の変化は、人間を含む生命体すべてにどのような影響を与えるのでしょうか。気になって落ち着かない日々が続いています。
 さて、情報の伝達が速やかになったということは、テレビなどの機器を使い、その画面を通して「見る」「聞く」「読む」ということにほかなりません。最近の様々な番組を見ていて気になるのは、言葉への美意識が失われていることです。四季折々の風情や伝統には、長年蓄積されてきた色や匂い、生き繋いできた人々の喜びや悲しみがあります。その命のようなものが伝わってこないもどかしさを感じるのです。
 画面を通して「見る」「聞く」「読む」だけでは、心の“ひだ”の部分は伝わりません。やはり、人の叡智によって組み立てられてきた文章を読み、感じ考えてこそ、言葉の持つ深い意味が伝わるのではないでしょうか。
 荒々しい言葉、雑な言葉からは決して品性は育ちません。幼い頃から言葉や文字に関して、その意味や使い分けの知恵、美意識を育てたいものです。
 子どもたちに絵本を読むということは、子どもたちの五感に言葉の不思議を伝えることを通して、また新しい事柄へチャレンジするための力を与えることです。また、読んでくれる人の存在を身近に感じることで、今、自分のいる場への安心感を育てます。子どもたちには、心を落ち着けて、身近な人たちから様々な知恵を学ぶ時間が必要なのです。どうかたくさんの言葉のシャワーを子どもたちにかけてください。時には、文字の誕生の歴史、読みの多様さ、言い伝えなどを、生活に根ざした角度から優しく語ってあげてください。
 例えば目上の人に対する言葉の使い分けも、幼いころから教えておかなければならないことの一つであり、それは普段の日常生活の中で育てなければなりません。家族関係が希薄になり、地域社会の連帯感が少なくなった昨今、自らの責任を他者に押しつける風潮が見受けられます。それは、それぞれが与えられた場で責任を持って教え導くことを放棄した結果のように思うのです。
 明日という日に、おとなも子どもも夢や期待を抱くことができる社会にしたいものです。そのためにはそれぞれが果たさなければならないことも多くあるように思います。
 最近は、読み継がれてきた絵本と同じ書名を持つ絵本が出版されています。書名は同じでも、絵も文章も別になっている場合があります。どうかその両方を手に取り、比べてみてください。「読み聞かせ」活動に参加されている方々は、事前に多少の学習をする姿勢を持つことを忘れないでください。出版物の現状にも敏感であることが望まれます。
 次回は、子どもと本の出会いのための諸活動、その環境と実施に当たってのアドバイスを試みたいと考えています。

「絵本フォーラム」30号・2003.09.10

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