グランマからのおくりもの

−第6回−
子どもと自分のあるべき姿を考える
賢い保護者になりましょう


 このところ、幼い子どもたちにとって不幸な事件が続いています。子どもたちの健やかな心と身体の成長と、そのために心配りをするべき保護者や社会環境の意識向上を願う者にとって、一体どうなっているのかと、憂いいや増す日が続いて心が晴れません。
 新聞その他から、日々、目に耳に入る痛ましい事件の報道。それらが全ての真実を告げているものではないと承知しながらも、親として人として、どう考えても許されるべきではない行為が多すぎます。自分の血を分け、痛みに耐え、この世に生み出した命を、保護者側の理由だけであまりにも粗末に扱いすぎる……。こんなことが許されていいのかと、怒る日が続いているのは私だけではないと思います。
 生の尊厳に対して少し学び直す必要があります。子どもたちが独り立ちするまで、日常生活の中で惜しみなく愛を注ぐのは当然ですが、人としてあるべき姿、ものの考え方について語り教えることを、大人たちは忘れています。
 今この原稿を書いている傍らで、テレビが、母親と交際していた高校生から暴行を受け、4歳の男の子が死亡したという事件を報道しています。その男の子は生前、「お母さんに抱いてもらいたい」「一緒に寝たい」と告げていたそうです。4歳の子どもにとり、自分の置かれている現状の不確かさについて、多くの言葉を語ることは不可能です。それだけに幼い子どもの素朴な、また根元的な願望が、この短い言葉の中にどれほど込められているか。それを思うと切なくて胸が痛みます。母親と、その相手である高校生の精神構造の貧しさ……。そこには、病んでいる今の社会の姿を見ることができます。母親及びその相手の高校生が育った家庭環境はどのようなものであったのでしょうか。今の学校教育のあり方にも問題があるのではないでしょうか。これらの課題はあまりにも大きいので、ここしばらく真剣に考えてみたいと思っています。
 「絵本フォーラム」の読者の皆さん。子どもたちが独り立ちする日は思いのほか早いのです。その日まで、どうか深い愛を注いでください。絵本を読んだり、言葉を交わしながら、人として守るべき大事なしつけや考え方を、日常生活の中で教えてあげてください。幼い者には、誰かが心を込めて、言葉でしっかりと語り聞かさなければならない大事なことが多くあります。それを知る賢い保護者であってほしいと願っています。
 9月某日、かつて私が最後に担任した元生徒たち20名余が私の仕事場に訪ねてきて、喧々囂々の数時間、40歳代突入の記念とか何とか言いながらも、高校生時代の思い出話に花を咲かせました。親との衝突や性の問題、進学や就職に右往左往したこと……。私も生徒と親との間に入り、あちらに探しに、こちらをなだめにと駆け回ったものです。今、わが子の教育問題に関する情報や意見の交換、これからのこと等を真剣に話す彼らの姿を見て、過ぎた時を思うと同時に、次代の中堅を担う彼らのエネルギーに大きな期待感を持ちました。
 幼い者は、賢い愛に包まれて育ちます。社会の至らぬ条件ばかりあげつらうのではなく、まずわが身の日々のあり方をじっくりと考える、心のゆとりを持ってください。

「絵本フォーラム」31号・2003.11.10

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