しおのはなし

「塩」が町や道路をつくった!?

 毎日会社でお仕事をして、お給料をもらう人のことをサラリーマンと言いますね。この「サラリー」は、古代ローマの兵隊さんたちのお給料、「塩(サラリウム)」のことだって知っていますか?
 世界中には「塩の町」という名の町もたくさん。音楽家モーツァルトが生まれた町、オーストリアのザルツブルクもその一つなのだそう。アフリカには、最近までお金として使っていた場所もあるくらい、「塩」は昔から暮らしになくてはならないものでした。
 では、人間はいつごろから「塩」を使うようになったのでしょうか。体の中に太古の海と同じ濃度の塩分が含まれていることは、前にお話ししましたね。汗やおしっこと一緒に塩分が外に出ると、体は自然に塩分を欲しがります。野山を駆け、動物や魚をとって食べていた、ずっと昔の人たちは、その中から塩分をとっていたのですが、お米や麦をたくさん食べるようになると、塩分が足りなくなって、「塩」が必要になりました。
 狩りをして移動していた人々が、豊かな水と「塩」のある場所に田畑をつくって生活するようになり、村ができ町になっていきました。例えば中国では黄河のほとりで塩湖のある土地に、エジプトではナイル河口の地中海沿い、天日製塩に適した土地に、大きな文明が生まれました。
 いつしかたくさんの村や町ができ、「塩」や土地土地でできるものを運ぶ道ができました。古代ローマの人々が都を築くとき、まっ先につくったのが「ビア・サラリア(塩の道)」。「塩」が何よりも大切なものだったことがわかるでしょう?
 こうして地球の上にたくさんの人が暮らすようになり、食物を保存する知恵も生まれました。ここでも「塩」は大活躍。肉や野菜の水分を吸い出し、ばい菌の繁殖を抑える働きをしてくれます。保存した食物は、遠くの町へ運んで売ったり、船に乗ってもっと遠くまで旅をしたりと、私たちの行動の場を広げてくれました。

「塩」をまくのは清めやお払い

 日本でも、米づくりが始まったころから「塩」が使われるようになりました。岩塩や塩湖はありませんが、周りはすべて海。ところが、雨が多く湿度も高いので、大変苦労をしながらの塩づくりです。そのせいか、「塩」にまつわる歌やお話が、古い本の中にはたくさん残っています。
 「塩土老翁(シオツチノオジ)」は、物知りで優しいおじいさん。海幸彦の大事な釣り針をなくして困っていた山幸彦を助けたり、船の航路や漁の仕方を教えてくれる海の神様。塩づくりを教えてくれた塩の神様でもあって、宮城県の塩釜(塩竃)神社に祭られています。この塩釜のほかにも、長野県の塩尻や山梨県の塩山など、海のない土地に「塩」のつく地名が残っているのは、貴重なものだったからかも……。
 清めやお払いにも使われます。お相撲さんは土俵に勢いよく「塩」をまきます。お葬式から帰ると、体に「塩」を振りかけます(最近は忌事ではないからと、あまり見かけません)。嫌なお客が帰ったら、「塩」をまきます。
 「忠臣蔵」の原因は塩づくりの秘密を教えなかったこととか、上杉謙信と武田信玄の長い戦いの中から「敵に塩を送る」という言葉が生まれたとか、「塩」にまつわるお話には事欠きません。探してみるとおもしろいかもしれませんよ。

ある日、ニンジン畑で……

写真  お約束したとおり、赤峰おじさんに会いに行きました。大分県の南のほうにある野津は、民話「吉四六(きっちょむ)さんの里」として知られる小さな町。ここでおじさんは生まれ、40年以上、お百姓さん(尊敬!)をしています。
 「こわーいおじさんだったらどうしよう……」。おっかなびっくりごあいさつ。「よう来たね」と迎えてくれたのは、生まれたての赤ん坊みたいな柔らかな笑顔。心がほっこりあたたかくなりました。
 20年ほど前のある日のことです。畑で1本のニンジンを見つめていたとき、おじさんにはわかりました。「宇宙の中のすべてのものは循環している」ってことが……。太陽の光をもとに、命のエネルギーは、水や空気、大地、そしてすべての生き物の中を、形を変えながら回っています。土から生まれたものは土に帰り、天から降り注ぐ水は、地にある命を潤し天へ帰っていくのです。おじさんは幸せで、にんまにんま笑いました。
 それから毎日、考えました。なぜ海は塩辛いのか。どうして人はアレルギーやがんなど、わけのわからない病気になるのだろう……。そして、恐ろしいことに気づきました。私たち人間は自然の力で浄化できないものをつくりすぎて、宇宙のおっきな輪っかからはみ出てしまったんだってことに。
 日本で農薬や化学肥料が使われるようになって40〜50年。それまでの長い間、人間はそんなものを使わずに作物をつくり、食べて元気に暮らしてきました。それがいつの間にか、早く楽に、見た目のよい作物をつくろうと、土に帰らない薬を使うようになって、自然の輪を壊してしまったのです。「人も宇宙もだめんなる」。おじさんは、農薬や化学肥料を使わない野菜づくりを始めました。
 おじさんの畑の土はふんわりあたたか。そこで育つ野菜は優しく力強い味で、みんなを元気にします。農園には、病気の人や町での暮らしに疲れた人が集まるようになり、そこで出会ったのが「なずなの塩」のおじさんたちなのです。
 赤峰おじさんは、畑で元気に働きます。訪ねてくる人たちの話を聞いて、助けてあげます。日本中を飛び回ってお話をします。それでも毎日、子どものようににんまと笑います。
 「体は食いもんでできちょる(難しい言葉で言うと、「身土不二(しんどふじ)」ということ)。命ある玄米(白米は命の部分を捨てています)と身の回りの生きた土で育った野菜と本物の塩を食うちょればいい!」。そこで那波おじさんと古閑おじさんは、本物の「塩」をつくることにしました。
 本物の「塩」って何でしょう? そのお話は、またこの次に……。


「絵本フォーラム」41号・2005.07.10


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