たましいをゆさぶる子どもの本の世界

「絵本フォーラム」第22号・2002.5
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不安いっぱい、こわーい
体験のあとには何があるの?
『はじめてのおるすばん』

写真  はじめて何事かに取り組むことはずいぶん刺激的であり期待や夢もひろがる。はじめて学校へゆく。はじめて就職する。言葉もできずにはじめて海外ひとり旅を決行する。はじめて異性の友を持つ。
 身震いするような新鮮な期待やよろこびが生まれる。ところが、これらのうしろに“大丈夫かな”という不安や、後ずさりしたくなるような怖気やたじろぎの心の動きも同居する。しかし、これらの多くは若者たちにとってのことだ。かれらは、幾多のこわーい体験や心細く、不安でいっぱいの体験を積んできている。
 幼児・児童は平常、母に父、兄姉、祖父母ら肉親の庇護のもとにあるか、保育所などで安全な環境のなかにあるのが普通だろう。こんな子どもたちがひとりぼっちにされてしまったらどうなるか。
 『はじめてのおるすばん』(しみずみちを作/山本まつ子絵、岩崎書店、1972年)は、そんな幼児の気持ちを見事に描き出している。
 主人公は3歳のみほちゃん。お母さんに急用が発生して“はじめてのおるすばん”に挑戦する。

「ね、みほちゃんにできるかしら」/「なにが?」 「ひとりでおるすばん」/「うん、できるよ。くまちゃんといっしょだもん」

 こうして3歳のみほちゃんは、はじめて、ひとりぼっちの留守番を引き受ける。やや不安そうだけれど、ワクワクドキドキの期待も感じさせる表情のみほちゃん。
 …しかし、お母さんがドアの鍵をカチリとかけて出かけてゆくや、部屋の中はシーンと閑かさを増し、心細さが募る。柱時計の秒を刻む音も「ひとり ひとり ひとり ひとり」と聞こえだす。みほちゃん、不安で押しつぶされそう…。くまちゃんをしっかと抱きしめる。でも、哀しい、なんだか、こわーい。
 コンテでソフトに描線を描き、水彩絵具でやさしく彩色した山本まつ子の、それでもリアルな絵が不安でいっぱいのみほちゃんを浮き出させる。

 ぼくには、幼児時期にひとりぼっちの留守番をした記憶がない。教師であった母は長兄の誕生とともに家庭人となっていて、ぼくの上に姉もいた。ひとりぼっちになることはまずなかった。また、ぼくの幼児・学童期は隣近所の関わりが遠い親戚よりはるかに強く、隣家のおばさんたちが「だれかいる?」と声をかけながら勝手に上がり込んでくるおおらかさがあったから、たとい、ぼくの親兄姉がいなくてもひとりぼっちになることはなかったのだ。縁側はいつも開け放され、夜になっても一家で旅する時以外、鍵をかけることもなかった。泥棒さんも不埒な訪問者もまるでいなかったのである。1950年代のはなしだ。
 この本の誕生は1972年。60年代の高度成長期は日本社会を構造的に変化させてしまった。当然のように子どもたちの生活や文化も変えた。70年代を迎える頃には、隣近所支えあう生活共同体は崩壊し、町・村から都市への人口移動は孤立化した核家族をあたりまえの形とした。“隣りは何をする人ぞ”の社会の成立である。5階建て程度の中層団地が大量に生まれて不審人物の各戸訪問も多発する。鍵は、生活防御の要締となったのである。
 だから、みほちゃんは、お母さんが帰るまでぜったいにドアを開けない。

「ぴん・ぽーん」/げんかんのちゃいむがなりました。 「ままじゃないもん。ままは、み ほ ちゃんて、三つならすんだもん」/「ぴん・ぽーん」/どんどんどん

 すっかり怖くなったみほちゃん。お母さんのエプロンを頭からかぶり、やってきた郵便屋さんにも、新聞屋さんにも、「こ、づ、つみ、いりましぇん」「かあちゃん、いましぇん」と頑としてドアを開けない。
 ドアの穴から覗いた新聞屋さんのふたつ眼玉は、まるで“おばけ”のようだった。みほちゃんはぶるるっと震えだし、眼から涙があふれだす。…そして、みたび、チャイムが…。

「ぴん・ぽーん」/みほちゃんはどきっとしました。/ところがつづいて、/「ぴん・ぽーん、ぴん・ぽーん」となりました。/「あっ、ままだっ。ままーっ」

 お母さんが帰ってすっかり安心し、留守番のようすを得意げに語るみほちゃん。何事かを達成した充実感、ずいぶんと怖い思いをしたけれど、自立の道を一歩踏み出したみほちゃんに、見る者・読む者の目頭はゆるんでしまう。読んで貰う子どもたちもみほちゃんの一挙手一投足に感情移入しドキドキしながら見つめ続けるのだ。一押しも二押しもしたい絵本である。
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