たましいをゆさぶる子どもの本の世界

「絵本フォーラム」第25号・2002.11.10
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でんぐりがえり大成功! 遊びながら体力づくり。
『てんぐり でんぐり』

写真  日本人の体型はすっかり変わった、と、つくづく思う。180センチを超す長躯の青年を今ではざらに見ることができるし、小股が切れ上がり細身足長の女性たちがパンツルックで颯爽と街を闊歩する。60年代後半からぐいぐいと日本人の体格は立派になった。しかし、体格は立派になったが体力はそれと反比例するように低下する。
 文部科学省の体力・運動能力調査によると、青少年の「走る・跳ぶ・投げる」基本的な運動能力は80年ごろを頂点に以降ずっと低下を続ける。なかで、子どもたちの体力低下はものすごい。例えば、50メートル走で昨年の10歳男子平均は過去最低。30年前に比べても断然遅い。投げる能力も11歳女子平均は30年前より悪い。
 かつての青少年と運動量がまるで異なるのだ。30年前は週に3日以上運動やスポーツに興じた10歳男子が7割以上。だが、昨年は5割そこそこしかいない。11歳女子では7割が3割少々と半分になった。

 いろいろな運動能力を、子どもたちは遊びのなかで育て獲得する。子どもたちの生活は遊びがすべてではなかったか。遊びを通して体づくりも感性育成も行われるのではないか。凧揚げも絵本の読み聞かせも子どもにとってはすぐれて遊びの世界なのである。
 子どもの運動能力の進展をよーく観察してみるとミラクルと思えるほどに驚異である。1歳前後で歩きはじめ、個人差はあるが3歳前後で走りだし、4、5歳ともなれば微笑ましいスキップだってできるようになる。
 キッ、キッ、キャッ、キャッと嬉々として戯れながら、子どもたちの運動能力は日に日に伸長する。前方転回、いわゆる“でんぐりがえり”だって3、4歳になれば可能で、幼稚園から就学するころまでに投げたり掴んだりの能力も飛躍的に身につく。ただし、子どもたちの本業、遊びの中にかれらがせいいっぱい生きているとしたら…、のはなしだ。
 子どもの本業が勘違いされている、と思う。ぼくらは、子どもたちを塾に駆り立てていないか。TV漬けやゲーム漬けにしていないか。部屋に閉じ込めていないか。少しの冒険を危険とし安全第一をよしとしていないか。
 何のために子どもを産み育てるのか。ぼくらは真剣に自問する必要がある。
 子どもの肉体的成長はスピーディで、運動能力の進展はときに親や大人たちをハラハラさせる。初めて歩いた、初めて跳んだ、言葉の発語の進展とともに、その成長ぶりに親はよろこびにうち震え、目を細めるだろう。幼児・児童と戯れるのは無条件に楽しいものだ。しかし、かれらと心地よく遊ぶ大人たちは大変な運動量を強いられるのを覚悟しよう。

 『でんぐり でんぐり』(くろいけん作 あかね書房 1982)は、遊びのなかにのびのび育つけんちゃんが、元気一杯、クルクルくるくると前方転回(でんぐりがえり)を披露するほのぼのとした傑作絵本。子どもが体いっぱいを駆使して生きる尊さを、説教ひとつすることなくふんわりと隠し味にする。
 …まんまるぼうやのけんちゃんが両手を地面にしっかりついて頭をなかに入れる。そこで、“ころん”とでんぐりがえりが大成功!…と、目の前にねこちゃんが…。けんちゃんとねこちゃん、ここで一緒に両手をついて、…でんぐり でんぐり。ころん ころん。…今度は目の前にうさぎちゃん。…で、「こんにちは」とごあいさつ。つぎはぞうさんが目の前に。みんなと一緒にぞうさんも、大きな体で、ころん、ころん、ころん、ころん。ばっしゃーんと水溜りにでんぐりがえってどろだらけ…。
 そこに登場したけんちゃんのお母さん。なるほどなるほど、堂としたもので「どろんこ あらって また あそぼう」と至っておおらかなのであります。
 遊びのなかの子育てに自信を持つ母親像がにこやかに存在感を示すのである。
 カウンティング・ブック(数の絵本)と、リズミカルな重ね唄絵本に構成された欲張り絵本。作者特異のソフトで暖かい色彩演出にまーるい線描。触感のある親しみに溢れているではないか。どんどん読み込むにつれ、読む側・聞く側、すっかりストーリーを覚えてしまい、ひとたび読みはじめれば聞き手が自ら朗唱を始めるほどだ。
 けんちゃんのモデルは作者の長男だという。きっとこののち、遊びのなかにすくすく育ち、体格だけでなく体力もしっかり育てていったにちがいない。もちろん、健康な体には本を愛する豊かな精神も育ったはずだ。
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