一日半歩

大人は伝えているか

 小学校の朝自習の時間、絵本の読み語りに仲間と出かけるようになって6年がたった。絵本の素晴らしさと喜びに満ちた子どもたちに魅せられて、今では市内5つの小中学校に通っている。
 我々大人は、小学生の無邪気な笑顔と輝いた瞳から、中学生の真摯で前向きな姿勢から、そして高校生の志に満ちた頼もしい姿から勇気をもらい、彼らが心も身体も健やかに育つようにと精を出し、彼らのために少しでも良い社会を手渡せるようにと力を尽くす。それが大人の役割であり、人生とはそういうものだと、47歳の私は小中学校時代を通じて多くの恩師から教わってきたように思う。だからこそ私自身、日常診療も、学校保健活動も、絵本の読み語りを始めとした様々な地域活動も、まさにこうした思いで続けてきた。
 学校医という立場もあって、私は校長や教頭と話をする機会が多い。しばしば彼らは、マスコミの論調を引用するかのように、昨今の家庭や地域における教育力の低下を口にする。確かに、それは事実かもしれない。しかし、その校長や教頭が若いころに教えていた子どもたちこそ、まさに今の小中学生の親の世代なのではないだろうか。だとすれば彼らは、家庭を築き、地域を担い、人として生きていく上で何が大切かを、当時の児童生徒らに教えてこなかったということか? それとも、身につくような教え方をしてこなかったということか?
 学校だけが人間教育の全てではないが、教師は子どもたちと関わる時間が多いことだけは確かだと思う。
 教育改革という言葉がマスコミを賑わしている。昭和後半のいつの頃からか、小学校は児童を無事に中学校へ送り出すことが、そして中学校は生徒を無事に高校へ進学させることが、何にも勝る至上命題として綿々と続いてきているように思う。私は、これこそが教育改革の対象のような気がする。今こそ学校は、教科授業や進学もさることながら、何よりも人としての将来を見据えた教育に立ち返る必要があるのではないだろうか。それは、教師だけではない。親も学校医も、そして子どもに関わる大人は誰も彼もが、人として地域や社会で生きていく上で何が大切かを、子どもたちへ真摯かつ誠実に伝えていく必要があるのではないだろうか。我々大人は、そのためにこそ、もっと時間を使うべきだと思う。
 伝えるとは、語ることではない。残すことである。我々大人は、目の前の子どもへ何を残せるかに、自身の生きる価値がかかっているように思う。残すものは、土地や財産などではない。人としての生き方である。様々な生き方がある中で、周囲へ光をともす灯火のような生き方だと思う。
 私は一人の大人として、「子どもたちへ伝える」という役割と責任を、常に強く自覚しなければと思っている。次代を担う子どもたちのために、もっと知恵と汗を出さなければとも思っている。そして残りの人生、そのためにこそ、もっと時間を使いたいと思う。
 では、具体的に何を伝えるか?

「絵本フォーラム」30号・2003.09.10

鈴木一作氏のリレーエッセイ(絵本フォーラム27号より)

次へ