一日半歩

“大人は「涙」を伝えているか?”

 親は誰しも、我が子の個性を大事にしたいと思っている。できれば、その個性をより良いものにしたいと願っている。では、個性とは何だろう。良い個性とは、一体どうすれば育つのだろう。

 個性とは、「人と違うことを言ったり、考えたり、できたりする」という意味ではない。なぜなら、自分勝手な考えや振舞を個性とは言わない。例えばコンビニの店先や電車の中で座り込んでいる若者を、個性ある若者とは言わない。すなわち個性とは、周囲から理解され、かつ尊重される自分自身でなければならない。
 他人を理解・尊重するには、心の中に他人と同じ意識のあることが必要である。つまり、言葉や物事によって引き起こされる感情に、他人と共通する部分(=共感)が必要である。そういう『共感意識』をきちんと育てること―。私は、それこそが教育の根幹だと思う。

 簡単に言うと、悲しい話には悲しいと思う心を育てることである。だからこそ、友人が悲しんでいれば、その気持を思いやって慰めの言葉をかけたくなる。友人が怒っていれば、気持を汲んで素直に謝ることができるようになる。友人が喜んでいれば、自分のことのように嬉しくなる。友人が懸命に頑張っていれば、思わず励まし応援したくなる。つまり、共感意識があればこそ、お互いを理解・尊重することができるのである。

 小学校で、絵本『ないた(中川ひろたか/作、長新太/絵、金の星社)』の読み語りをしていて気がついたことがある。「ころんでないた」や「ぶつけてないた」あたりではうなずいて聞いていた子どもたちが、「うれしくてないた」や「こわくてないた」あたりから分からないという顔をし始める。「おかあさんのおふとんにはいったとき、おかあさんのめからなみだがでた」では、首をひねる子までいる。

 そういう子どもを見ていると、ふと心配になってしまう。人間にとって大切な『共感意識』は、勉強やテレビゲームでは学べない。様々な実体験や実感の中からしか学べない。
 だからこそ、異年齢の仲間と遊ばせよう。乳幼児の世話をさせよう。見舞いや通夜へ連れて行こう。食卓では家族全員で語り合おう。「おはよう」や「ありがとう」を言い合おう。
 さらに大切なのは、我が子に絵本を読んで「美しさ、悲しさ、やさしさ、勇気、正義」に触れた時、親の涙を見せること。我が子が成果を出せなくても頑張り抜いたのなら、そっと抱きしめ、目に喜びの涙をためること。我が子が卑怯でずるい振舞をした時は、涙を浮かべて叱り、涙に込めた親の思いを伝えること。

 親が子どもに見せる涙には、とても強い力がある。親が何を大切に思い、何を喜び、何を許さないかを、子どもは共感意識として心に刻みつけていくだろう。良い個性とは、そうした心を基盤に育つものだと私は思う。

「絵本フォーラム」41号・2005.07.10

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