絵本・わたしの旅立ち
絵本・わたしの旅立ち

絵本・わたしの旅立ち
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やさしさの発見はつづく
 わが国でも多くの昔話や伝説が伝えられていますが、やっぱり「桃太郎」ほど話題になったものはありません。
 しかし桃太郎といっても柳田国男が言うように語り手と聞き手との関係によって、絶えず形を変えて受け継がれているようです。
 例えば誕生の仕方にしても、桃の中からパッとあらわれたのもあれば、ジジとババが桃を食べて若がえり、子どもを生むという刊本もあります。それから成長の道すじも、時代や土地によって大違いです。
 また明治以後には、とりわけ多くの作家によって、好きなように書き改めています。それには単に日本の男の子の象徴として造型しているのもあれば、戦時下では戦争の目的にふさわしい姿が濃くでていますし、プロレタリア児童文学に至っては、イヌ、サル、キジが家来として素直に命令に服するのではなく、桃太郎に侵略的行為をやめ、平和に農作業に汗を流すよう団交で要求します。

 更に興味ぶかいのは幕末に英訳されたもので、桃から生れた桃太郎には頭が二つついています。ひとつはGood、もうひとつはBad。ほおりっぱなしにしておくと、Badの頭がだんだん大きくなる一方、Goodはそれに対応するように短かくなっていく。ジジはいつも腰に金槌をさしはさんでいて、それがひどくなるとBadの頭をたたきつけ、正常にもどす。
 「桃太郎」はさまざまな趣向をこらして楽しませるものの、結局、家来の三匹を引きつれて鬼ヶ島に乗りこみ、鬼退治をして宝物をとりあげ、めでたく凱旋して故郷に錦を飾る。これが一般的に固定したイメージでした。

 あまりにもポピュラーすぎたせいか、絵本化も芳しくなかったのですが、戦後、松居直再話、赤羽末吉絵という傑作が刊行されて、これまでの通俗的な桃太郎絵本が批判され、芸術的水準をとり戻し、定着しました。  阪田寛夫のステキなところは、漸やく質が高くなりつつある絵本ですら、到達できないでいた作品に指向する姿勢そのものを、根元から変えてしまったところにあります。
 つまりこれまでの昔話絵本にとって、当然のことであった視点―いつも鬼ヶ島を攻めよせていく側から描こうとするのではなく、逆に攻められる側にたって描いていこうというところにあったのです。
 阪田の「桃太郎」はまず「鬼ヶ島の鬼の子は、やっぱり夜ふけに泣く」ことを発見し、桃太郎が襲来する噂を聞いただけで震えがとまらず、「こわいよ、かあちゃん」と思わず叫ぶ。昔話桃太郎の道筋を、普通に考えてみると、当然誰もが気がつく「あたり前の世界」を、すっかり見落としていた私たち。阪田寛夫は「目からウロコが落ちる思い」をさせてくれるのです。
 読むまえの世界と、読んだあとの世界の差が、ほんとうは忘れてはならない昔話の訴えようとしていたものではないか。阪田は私たちのこころに「にんげんとしての当り前の心とは何か」をつきつけてきます。

 最近の絵本には、ただ単に意味なく笑いを誘う刹那的なナンセンスが、いかに多いことでしょう。私は文学や物語が精神衛生の働きをすることも納得できますが、「サッちゃん」のような低年齢の子どもを描きながら、やさしい言葉の奥に秘められている「人間らしい人間の愛の在りよう」をみごとに形象化する阪田の詩業から私たちは、もっと学ばねば、と思っています。


〔追記〕  ただファンとして私自身がいちばん好きな彼の絶唱を告白します。笑わないで下さい。


  熊にまたがり屁をこけば
  りんどうの花散りゆけり


  熊にまたがり空見れば
  おれはアホかと思わるる


 次号は金子みすゞです。読み込んでおいていただきたいものです。

「絵本フォーラム」42号・2005.09.10


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