絵本のちから 過本の可能性
特別編・2

「絵本フォーラム」41号・2005.07.10
母の国の言葉・心が話す言葉
〜 mother tongue is … 〜
宮腰 悦子 (株)エツコワールド代表
 私は今、長浜市に住み、30年前と同じく、新しくこの地で出会った人々ともに地域・児童文化活動に精を出しています。具体的には、「おはなし会」の配達、ストリーテラーの養成、そしてお話をつくることです。
 前号では、私自身の風変わりな絵本体験――文字から先に入っていった――について書きましたが、今回は自分の3人の子育て、子連れ外国生活など、わが家の絵本生活体験をご紹介させていただきます。それはとりもなおさず、ことばの大切さを認識させてくれ、今日(こんにち)なお、自分たちの生活の源になっているからです。

 オノイコンナラ チレンノニチヲ イクナオトコノ ロコンジョウ

 この呪文のような文言は、35年前、1歳8カ月だった長女が歌うところのアニメ『巨人の星』の主題歌です。あまり見事だったもので、録音テープにとっています。
 当時、サラリーマンの夫は猛烈社員で、単身赴任、常時不在。育児に不慣れな私は、相談相手のない社宅生活の中、日々心細い思いで暮らしていました。頼みの綱は赤子の娘だけ。『うさこちゃん』絵本を仲介として対話に明け暮れし、それで娘のことばの習得が早くなり、先の歌になったのです。安く手に入る福音館書店の「こどものとも」には、本当によく助けられました。

 ある日、2歳の娘がすべり台の上で、もめている年長の男の子たちに叫んでいました。「じゅんばん、じゅんばん」。2歳の子が「順番」と漢語をしゃべっていることに驚き、音と意味と文字が一つになっていることに気づきました。小さい子どもでも、豊かなことばづかいをすれば、頭の中の世界が広がるはず……。そう思った私は急に楽しくなり、「育児は芸術活動かも」と自分流に解釈したものでした。
 絵本の力をかりて、やさしく豊かな語彙を使って話すことに努めると、どうやら娘の頭の中には言葉の引き出しがあるらしく、ストン、ストンと入っていきました。その上、引き出しの数もどんどん増えていくようなのです。もちろんすべてが楽しくておもしろいからこそなのですが。言葉による理解力、集中力、想像力、創造力、思考力が一本につながって見えましたし、その結果、意欲が湧き出る泉のように思えました。

 この子が2歳8カ月のとき、当時はしりの川崎氏病という難病にかかり、3週間入院しました。原因不明で40度の高熱が10日ほど続いたでしょうか。絶対安静ですから、天井をにらんでいるより方法がありませんので、親子でおしゃべりをしたり、『かにむかし』(木下順二)のお話を呪文のように唱えたりしていました(おかげで、退院のころには娘はすっかり暗記していました)。
 あるとき、担当の先生が「ご飯を残さず、ちゃーんと食べたら点滴をしないで済むのだけれど」と、娘に目をやりながらおっしゃいました。いつもほめてくださる先生のこと、「ワタシ、タベル」と宣言した娘は、たとえ高熱下でもきちんと食べ、ついに1食たりとも残すことなく、驚異的な点滴なしの記録保持者となりました。28歳の心細い母親は、言葉と理解力が意志につながり、人と人との信頼の心を育てるという場を見たのでした。

 2歳違いの次女は明るいニコニコ顔の生活力旺盛な子どもで、3番目は四つ違いの男の子です。この長男が3歳のとき、夫の仕事でヒューストンに転居しました。2人の娘たちは小学校4年と2年でしたから、母国語の基礎ができていましたが、長男は基礎が確立していません。ひらがなは読めて、自分の名前だけ書くことができる程度でした。この段階で英語社会へ移行していったからでしょう。2年後、日本語補習校に入学したときの状態は、渡米時と全く同じでした。家庭内では日本語しか話さず、日本の絵本を毎日読んでいたにもかかわらず、です。やはり言葉や文字は毎日使っていてこそということでしょう。
 長女はすでに文庫本などを読み始める言語力でしたから、頭の中で英語に翻訳するだけ。次女はニコニコ笑顔と折り紙外交の才能を持ち合わせ、一躍人気者に。キンダーの息子も毎日生活を楽しみ、寝言やけんかまで英語になりました。幸せなアメリカ生活でした。ところが5年後、日本に帰国してからが、さあ大変……。息子が日に日に笑わなくなっていったのです。
 制約の多い日本の学校生活もさることながら、私の不注意にも原因がありました。言葉はコミュニケーションの道具、表現の手段だということは知っていても、考える、思う、感じるという一つ一つの行為のすべてが言葉の組み合わせから成っているということを忘れていたのです。極端に少ない語彙は、勉強も含めて、深いところに欠落が起きる原因となります。一見スムーズに流れる外見上の暮らしとは別のところで、もどかしい、口惜しい等のストレスがたまって、笑顔を失ったと言えます。5年、外地にいたら、5年のアフターケアを、と言われていたことを忘れていました。結局、愛されているという実感のもとに励まし続け、笑顔を取り戻すまでに5年かかりました。

 昨今、英語の早期教育のことをよく耳にしますが、言葉と文字を大切にした母国語の確立というポイントを押さえてからでないと……という私の苦い経験です。このことがあって、私は息子への罪滅ぼしのつもりで、「おはなし会」の配達と、若いお母さんたちへメッセージを伝え続けることを決めたのです。
 私の病気見舞いに、お気に入りの絵本を読んでくれた3人の子どもたち。「人のために尽くすことが、わが幸せ」と思える、健康な大人になあれという私の望みも、そこそこ達成されています。ちなみに、文字文字(モジモジ)人間の私に育てられた、ソコソコ一家の長女は、弁護士になって『六法全書』を友とし、ニコニコ次女は料理免許皆伝の当家の女中頭、暇さえあれば、英語の本を読んでいます。長男はお坊さんになって、お経とサンスクリット語に親しんでいます。
 みんな文字好きですね。親のまねをして育つのでしょう。もちろん居間には、いつでもたくさんの絵本があります。いまだに……。

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