えほん育児日記
〜絵本フォーラム第100号(2015年05.10)より〜

日本や世界で起きている出来事にも想像を巡らせる努力を

M本 香織(絵本講師)

M本 香織 絵本講師

 今年も春がやってきました。昨年の春、我が家は長男の高校受験という初めての経験をしました。息子は大きなプレッシャーとストレスに耐え、無事志望校に合格。

 それにひきかえ私は手助けできないもどかしさと、口に出してはいけないと思いつつ不安に耐えきれず、余計なことをつい言ってしまい自己嫌悪に陥るという情けない姿。絵本講師として「ありのままの子どもを受け入れましょう」と語っているのに、現実はそううまくいかないものです。うるさい私の横やりを黙々とやり過ごし、淡々と自分のすべきことをやった息子には感心してしまいました。

  そんなわが子の成長を感じているうちに、また新たな春を迎えました。

 今年は物騒なニュースが次々に飛び込んできました。「イスラム国」の暴挙、男子中学生殺人事件、いじめも一向に減りません。この世界はいったいどこへ向かっているのだろうという不安でいっぱいになります。

  受験という身近な出来事でも、やはり目の前の試練を自分の力で乗り越えたという達成感は息子を少したくましくしたような気がしました。私たち大人は、試練にぶつかった結果がたとえうまくいかなかったとしても、それは決して人生の失敗などではなく、失敗から得ることも多いということを体験から知っています。でも学校やネットという狭い世界しか知らない子どもたちは、自分の知っている世界がすべてで、その世界でのささいな失敗も私たちの想像以上に大きな失敗と感じるのかもしれません。

  子どもたちの事件は、狭く偏った世界で鬱屈した感情を持て余している中で起きている気がしてなりません。もちろん複雑な事情が絡んだ結果だとは思いますが、もっと大人こそがおおらかに、今がすべてではないこと、世界は広くて人生は長いということを教えなければと感じました。それは人生には選択肢があり、未来には希望があるという救いです。

 それを伝えてくれるのが絵本です。子どもたちはいろいろな絵本を通じて、世界のどこかに自分の知らない様々な人がいて、様々な考えがあるということを自然に学んでいきます。そして、絵本の登場人物になって物語を楽しみながら、他の人の立場に立って考えるという想像力を養うことにもなるのです。

  「イスラム国」の処刑映像を生徒に見せた教師が「イスラム国」の残忍さを伝えたかったと話したそうです。しかし想像力があれば、言葉で聞くだけでもどんなに残忍な行為が行われたかは十分に感じることができたでしょう。そしてもし、その処刑された人が自分の身内だったとしたら、映像を見せて教育の一環だと言えたでしょうか。

 想像力の欠如はこの教師だけの問題ではありません。日々目にする、「死者○人」という文字の後ろには、それぞれに名前があり、家族がいて、人生があったのだということをどれだけの人が想像しているのか。

  私たちはメディアの悲惨な情報に慣れてしまって気づかぬうちに鈍感になっているのかもしれません。私たち子育て世代が狭くなりがちな視野を広げ、自分の周りだけではなく、日本や世界のどこかで起きている出来事にも想像を巡らせる努力が大切なのかもしれません。

 子どもが成長し試練にぶつかるたびに、親も試され、彼らはどんどん自立に向かっているということを痛感させられます。つい出さなくてもいい手を出したり、聞かなくていいことまで聞こうとしたり、悔やんでばかり。その悩みや迷いがきっと私をたくましい親に育ててくれるのだと信じ、2年後に再び訪れる受験(今度は息子と娘のダブル!)のときには、大好きな「ケセラセラ」を口ずさみつつ、笑って「なるようになるさ!」と言える肝っ玉母さんになっていたいと思うのです。

(はまもと・かおり)

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