たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第101号・2015.07.10
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貧困地域に生きる人々の明るさとあふれる善意

『サンパギータのくびかざり』(今人社)

サンパギータのくびかざり  鬱陶しく、気分もさえない。梅雨期のせいばかりではない。ぼくらの国のおだやかでない状況が不愉快さの由来だ。歴史認識しかり、安全保障法案しかり。矛盾社会に生きなければならない子どもたちの状況もしかりだ。

 不毛の政権争いは、ほぼ絶対多数の政権を生む。結果、やりたい放題の強権政治を跋扈させる。まともな論陣をはれなくなった情けない大メディア。なんとかせんといかんと、少数のブロック紙や週刊誌が精一杯の批判を試みるが、全国レベルでは少数意見に留まる。

  こんななかで海外の歴史家ら数百人が東アジア、特に日本人の歴史認識の持ちように警鐘を鳴らし、これが契機となったか、日本の学者たちも立ちあがった。遅すぎの感はあるけれど、彼らは、現在の学問研究の到達点として政府や与党の語る歴史認識が危ういこと、安全保障法案がそもそも憲法に違反すると声明を発したのである。果してこれらの動きは効を奏するか。不安は尽きない。

 また、強権政治は児童や生徒の教育現場にもずかずかと踏み込む。なんでも思うままにしようとする傍若無人の振る舞いは、いったい子どもたちの未来をどうするつもりなのか、許されることではないだろう。子どもたちや青少年がときに惹起する異様な犯罪の数々は、すっかり科学技術化された都市にはらむ矛盾や複雑怪奇な政治経済システムとつながっているのではないかと、懐疑的になってしまう。

 そんな想いのなか、絵本『サンパギータのくびかざり』に描かれるフィリピン・ミンダナオ島の人々や幼い少女にふれる。島の人々の暮らしはひどく貧しく。子どもたちも働くのが当たり前。学校にも行けない。主人公の少女リンも、寝たきりの母親とふたりだけで暮らす。父親は暮らしに負けたのかいなくなった。幼いリンだが、サンパギータ(ジャスミン)の花を糸でつないで首飾りをつくり、それを売りに早朝から路上に立つ。容易には売れない。だから、食うや食わずの生活だ。

  リンが篤志家らしい婦人に遭遇して売れ残った首飾り全部を買ってもらったその日、売上で買ったごはんを持ち帰るリンを待つ母親は、危篤に陥っていた。こんな出来事から物語を進める絵本は美談仕立てではある。しかし、ひとり遺されて自分を見失いがちな少女リンを「家の子になったらいいよ」とまで親身になって心配する近隣の人々の姿を、絵本はリアルに描く。極貧に近い地域に住む人々の打算のない善意や、屈託ない明るさの源泉はなにか。そんな人々の生きる力を、ぼくらはどう読み込むか。絵本は、ぼくらを試しているように思う。

 経済的豊かさのなかで、ひどく進む格差社会、うっかりすると罠にはめられる社会の偽善システム。矛盾だらけの現実社会に人々は呻吟する。そんな現実に直面するぼくらとのミンダナオ島の人々との彼我の差はあまりに大きいと、しみじみ感じされられる。

  無論、ぼくらは、子どもたちの教育や貧困社会など、ミンダナオの根深い問題が横たわっていることを知っておかなければならない。日本からミンダナオ島に渡り、子ども図書館の開設、親のない子や極貧の子どもたちへの奨学制度や子育て支援など、広く活動する著者の視界に、それらは捉えられているはずだ。

                              (松井友=文 ポン・ペレス=絵 今人社)

(おび・ただす)

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