たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第105号・2016.03.10
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本当の「こわさ」を教えてくれる「こわくない」という絵本

『こわくない』(絵本塾出版)

 二月四日、いくらかなりと縁のあったイラストレーター・絵本作家の井上洋介さんが亡くなった。享年84歳。彼は「これが洋介だ」と主張するかのような、するどい、勢いでペンを走らせるダイナミックな描線で『月夜のじどうしゃ』『くまの子ウーフ』『ヘンなえほん』など、数々の傑作を生み出してきた。

こわくない  ぼくは漫画の物語性を強く意識するひとりだが、漫画家でもあった井上さんの絵は、絵本にしろ、挿絵にしろ、まちがいなく、なにごとかを物語っていた。ときに、ノンセンスな味わいを読者に届けながら…。

  その井上さんの晩年の作に、詩人の谷川俊太郎さんと共作した絵本『こわくない』がある。

  4、5歳だろうか。ぼうやがひとり、くらやみの2階の部屋で目をきぃーと開いてこわさをこらえている。洋介さんの描く絵は、そのまま、谷川さんのことば「こわくないったらこわくない/おばけなんてこわくない」と発している。……で、ページをめくると「くらやみだからくらいのは/あったりまえでしょう」と承けるのだが、見開き中央に大胆に描かれた表情は、もう、恐怖のきわみにある。「くらやみだから……、」はこらえ忍ぶための理由づけだろうか。

  こわさの相手は、いばるとうちゃん、おこる先生、轟くかみなり、とつづく。成人なら、谷川さんの、諧謔の妙味あふれるテキストに思わず手を打つはずだが、子どもたちにとってはどうだろう。「こわくないったら こわくない」相手は、きっと「こわい」相手に決まっている。それをじゅうぶんわかっていながら、二人の著者は描き書く。

  見ず知らずのユーカイ犯に「知らない人と たまにくらすのもいいさ」といって読者をおどろかせ、戦争となると「死ぬのはカッコわるいから、あっさり逃げましょう」というのも諧謔の誇張版。子どもたちは、列挙される相手を心底こわがっているにちがいない…。

  この絵本は、井上/谷川コンビの計略がみごとに的を射て「こわさ」の本質を人びとに吐露した傑作だとしみじみと想う。
で、大人になればと、共作のふたりは一転させて語り描く。「こわくなるったらこわくなる/おとなになればこわくなる」といい、「くよくよおどおど/こわくなる/どうしてなんでしょう」と、問うてくる。さぁ、ぼくら大人たち。ぐさり、とやられた思いになりませんか。

  昨今の状況、物騒でこわいことばかり。若い父親母親が我が子を虐待し、先生の不祥事、落雷被害も茶飯事となる。女児ユウカイなんてすごくこわいこともあるから、実際こわい世になっている。各地で惹起する戦争については論外で、こわいったらありゃしないのだ。そんなこわい戦争に参加したいとする国家まで出てきている。

  わが国はどうだろう。あれやこれやを、思いのままにしたい為政者が闊歩する。憲法まで勝手に解釈して法律制定を為し、立憲主義を危うくする。その権力のまえにひれふすもの、忖度する者はいないか。ジャーナリズムはひるんでいないか。…こんな状況だから、市中の大人たちは、こわさをいっぱい抱えこんで「くよくよおどおど」するばかり。

  絵本『こわくない』は、子どもたちの「こわいけど、ふんばる」力を、大人も持たなければ、まずいぞ、こわいぞ、物騒だぞと考えさせられる、大人のための絵本にもなっている。
(『こわくない』谷川俊太郎 作 井上洋介 絵 絵本塾出版)

(おび・ただす)

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