『つきよの たけとんぼ』(梅田俊作/作、新日本出版社)
NPO法人「絵本で子育て」センター
熊懐賀代(絵本講師)
梅田俊作先生の優しくあたたかいタッチの絵。でも、明るい色使いの絵本と、何か少し違う……。表紙の黒い色に重 みを感じながら開いた。
* * *
ハナのおじいちゃんは、時々ふっといなくなる。月夜の浜の六道岩(ろくどういわ)。おじいちゃんがつくってとばす、いくつもの竹とんぼ。
おじいちゃんが作った竹トンボは、高く遠く風に舞い、波打ち際に立ち並ぶ。
おじいちゃんは孫のハナとその友達のタロに頼まれて、子どもの頃のこと、竹トンボとナイフのことを語ってくれた。
おじいちゃんは子どもの頃“少国民”と言われた。戦争に勝つためにと、食べものも学校も奪われ、かけがえのない父ちゃん、兄ちゃんまでを奪われてしまった。小学生の子どもが母ちゃんの仕事を手伝い生活を支えた。母ちゃんは一日中働きとおした。中学生のちいにいちゃんは学校へ行く代わりに工場動員で働かされて、そして空襲で軍需工場もろともいっしょに働く級友たちと共に爆死した。
戦争は、海辺の小さな町まで容赦なく覆いかぶさって何よりも大切なものを、子どもの生活と家族の命までも奪っていったのだ。海も、空も、海辺の生き物たちも自然は少しも変わらないのに……。《「海が泣いとう……」母ちゃんの声がした。》
竹トンボは、街の空襲で焼夷弾の直撃を受けて母と弟を亡くし、妹と2人疎開してきたハルオが、妹のナツコの笑顔が見たくて、燃えさしの竹をけずって飛ばしたものだった。おじいちゃんのナイフは、しかし、そのハルオの形見になった。おじいちゃんは、六道岩の洞穴の秘密基地で竹トンボをつくりつづけ、こころに誓った。《なにがあっても、ナツコのそばにいてやろう。わっしをかばってくれる母ちゃんのように!》
《中学生が、戦争の道具とか、つくってたんだ……》、《だれもが いくさのため、勝つためにと、がんじがらめやった……》、《なーんもわからん ちんまいときから教えられて、あたりまえに思ってたんや。わっしら少国民の命は、お国のため、いくさのためのものってのォ》
絵本のことばに心が騒ぐ。時代が暗転を始めている。重く、低く、こわい音をたてて。でもその地響きは、まだ直接に私たちの生活の邪魔をしてはいないのでほとんどの人は気づかない。大丈夫、と思いたくて気がつかないふりをしているの? 人の命よりも大事なものなんてない。子どもの命は、その子自身のかけがけのないもの。
ハナのおじいちゃんには、子どもを守って凛として働き生きる母ちゃんがいて、塩釜の塩じさまがいて、疎開してきた兄妹のハルオとナツコが、遊び仲間がいた。
たくさんの尊い命が亡くなってしまった戦争。戦争が終わって、辛く苦しい時代の中でも強く守られてきたあたたかい人のつながりがあったからこそ今がある。次の時代へ受け継がれてきた命がある。そのことが私の胸に迫る。
何かが、胸を騒がせる。たくさんの辛かった思いを語るのは、きっと身を切られるようにその辛さを重ねることに違いないのに……、と思うから。それでも語り聞かせるおじいちゃん。
* * * 読み終えた最後のページに、一葉の『銃弾のあとをのこすナイフ』の写真があった。
「何があっても、守らなくてはならないものがある!」という声が聞こえる気がした。
梅田俊作先生の竹トンボ。
伊座利の海で、子どもたちといくつもいくつもたくさん飛ばして遊んだ、色とりどりの美しい竹トンボ。初めて手にした子も何度もやって、上手にふわ〜っと風に乗って飛んだ。みんなで一つずつお土産にいただいた手作りの竹トンボ。
美しい空の下、やさしい波の音を聞きながら何の心配もなく、ただ無心に竹トンボを飛ばし、子ども達が川に入って遊ぶことがいつまでもできますように。
物語の中の、ハルオの「何があっても守ってやる」という強い思い。私自身の願いに、梅田俊作先生の強い思いが重なって、心に響いている。
(くまだき・かよ) |