えほん育児日記

   
わが家の子育ては・・・


~絵本フォーラム第113号(2017年07.10)より~  第1回

わが家の子育て1-1 我が家には小学三年生と年中の姉妹がおります。一昨年長女が小学校に、昨年次女が幼稚園に進み、娘たちがそれぞれ自分の世界へと一歩踏み出す姿を見ました。この度こうして私の子育てを振り返る機会をいただき、娘たちとの日々をゆっくり思い起こしながら、自分自身と向き合ってみたいと思います。

 夫婦共に関西出身で、結婚後しばらくして夫の仕事で神奈川に移りました。夫婦での子育てを第一にと思い、里帰りはしないで神奈川で出産しました。でも手伝いに来てくれた実家の母が関西に帰った後、想像をはるかに超える過酷な日々が待っていたのです。赤ちゃんって、こんなに大変なものなのか……。二十四時間まるごと赤ちゃんのお世話。手探りの毎日の始まりでした。

 昼も夜もよく泣く子で、少しでも離れるといつまでも諦めずに泣いて私を呼びました。息を抜く加減がわからず「かわいいな」と思う余裕さえありません。私以外の人が抱っこをすると大泣きです。相談できる親類も友人も近くにいなくて「やっぱり日中ずっと二人きりがよくないのかな……。私の育て方がいけないのかな……」、と悩んでは、核家族の子育てがいかに大変か身に染みました。

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 そんな私たちの子育ては、最初から絵本に救われました。夫も私も学生時代から小説を読んだり書いたり、美術を鑑賞するのが大好きでしたので、娘に絵本を、とごく自然に考えました。夫は、なかなか自由に書店や図書館に行けない私と娘のために、福音館書店の月刊誌「こどものとも0.1.2.」の年間購読を申し込んでくれました。毎月ポストに届く一冊を心待ちにして、大切に読んだことを思い出します。よく泣くのですが、私と遊んだり絵本を読んだりすると落ち着いて、いつまでも膝の上から動かない子でした。一歳前から絵本を読んでもらうのが大好きになり、絵本を持ってよちよち私のところに来ました。

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 私も子どもの頃絵本が好きで、幼稚園で購入していた月刊誌や月刊絵本をよく読んでいました。気に入った絵本を眺めては、いろいろ空想するような子でした。高校生の時に阪神大震災で自宅が大きな被害に遭い、多くの絵本は持ち出すのを諦め、処分したり寄付したりしました。でも絵本は残っていなくても、心の中のどこかにその記憶が残っていたのだと、我が子に絵本を読むようになって初めて知りました。母になって再び絵本に出会い、深く興味を惹かれるようになったのです。娘と一緒に子どもに戻って、どんどん夢中になりました。

 その頃我が家には「こどものとも0.1.2.」と、数冊の絵本しかありませんでしたし、絵本の知識もあわが家の子育て1-2りませんでした。でも私たちはとても満足していて、数少ない絵本を私も娘もすっかり覚えてしまうまで繰り返し繰り返し読みました。娘はまだ話せませんでしたが、絵本を指差す仕草で“これはなに?”と聞いたり、絵本で見たものが家にあると持ってきて“おなじだよ”と教えてくれたりしました。「これは海だね。これは砂丘かな」 「絵本の貝とそっくりだね!」と、絵本を介して会話ができることに感激しました。私は子どものそんな様子をとても微笑ましく思い、手助けのない育児の大変さが絵本のお陰でずいぶん和らいだのです。

 長女はその頃読んでいた絵本を八才の今でもよく記憶していて、今読んでも面白いと言います。私の心にもその頃の絵本は印象深く刻まれています。たくさんの絵本を揃えるよりも一冊の絵本と深く関わることで、親子の大切な思い出として記憶に残ったのかもしれません。私から離れようとしない娘を見ながら、これでいいのかな、と当時は幾度も不安になりました。ただ、精一杯の意思表示をしていた娘にできるだけ応えようとし、結局絵本を通して楽しい時間を一緒に過ごせて幸せだったと、大きくなってようやく感じるようになりました。あの頃を思い出すと、今しかできないことを大事に過ごそうと改めて思います。
(しのはら・のりこ)

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