子育ての現場から

子育ての現場から 1


愛しきテル君とお母様

高田 聖代 (かきかた・国語教室主宰 兵庫県神戸市 )

 

 拝啓 テル君のお母様、お元気ですか? 国語教室の高田です。テル君が私の教室に通っていた高田 聖代のはつい昨日のことのようですが、テル君も来月で二十歳、月日の経つのは早いですね。先日偶然再会し、その成長ぶりが嬉しくて、ついお母様に手紙を書きたくなりました。

             *    *    *

 テル君が国語教室を訪れたのは小学五年生の秋、とても静かなお子さんでした。
「好きな給食のメニューは?」 「何をしている時が楽しい?」 「キャンプはどうだった?」――何を聞いても首を傾げるばかり。よほど嫌われたか、誰とも話したくないのか……。
しかしどうやら、本当に何も心に浮かんでこなかったようです。
「そんなこと聞かれたことがなかったので考えもしなかった」と後に教えてくれました。

 お母様は、「テルは殆どの時間を自室で過ごします。夕食に家族が揃うことはありません。
食後テルは自室でマンガを読むかゲームをするか、動画やテレビを観ています。家族でテレビは観ませんよ。
早くお風呂に入れとは言いますが、実際何時頃に就寝するのかは知りません」、とお話しくださいました。
お母様もフルタイムのお仕事、普通のご家庭だと思いました。
しかし、テル君が自身についての質問に何も答えられない事実を伝えると、流石(さすが)に不安を隠せませんでしたね。

  私との会話の後、「とにかくテルと話をしよう。
でも何を話せばいいのか……。
そうだ、絵本を読んで聞かせよう。
一冊の本を一緒に読むことは大事なはずだ」、とお母様はおっしゃいました。
読み聞かせを始められてまもなく、あることに気づかれましたね。
さぞ落胆されたことでしょう。
小さい頃、あんなに読んで聞かせたはずの昔話を彼は殆ど覚えていなかったのですから。
桃から生まれた桃太郎が亀に助けられて竜宮城へ行く。
罠から助けられた鶴がそのままの姿で「恩返しに来ましたよ」と機(はた)を織りにやって来る。
本気で思っていたようでした。


 人の記憶というものは、やはり時間と共に薄れてしまうものなのでしょうか。
しかしテル君は、その後誰よりも昔話に詳しい少年になりました。
「小さい頃、お母さんがよく昔話を語ってくれたのを思い出した」とのこと。
大切な思い出は心のどこかに残っているものなのですね。


 またお母様は、「テルは言葉を知らない」と嘆きながらも、よく努力をなさいました。高田聖代
テル君が和菓子や餡子を知らないと聞くや、すぐさま饅頭や羊羹を買いに走られました。
ある番組で「トリ肉って何の肉かなんて知らない」と言う若者を見ましたが、何も知らないのは当人のせいではありませんよね。
そんなことは当然知っていると思い込み、教えてこなかった私たち大人の責任です。
お母様も「テルと一緒にリビングでテレビを観るべきだった」とおっしゃいました。
「一人一台」の電子ツールは現代人の必需品でしょうが、家族みんなで話す時間ほど大切なものはないのです。それに気づかれたからこそ、毎日必ずテル君と話す時間を持たれたのですよね。
テル君はその時間を楽しみにしていました。やがて様ざまなことを自問し、徐々にテル君らしさを形成していったように思います。きっかけさえあれば、人は誰でも深く物事を考えるようになるものです。

  テル君は間もなく二十歳。将来は人と接する仕事がしたいそうですね。
あのテル君が、です。
そこにはやはり、お母様のテル君を思う気持ちと、愛情のこもった努力が不可欠だったといえるでしょう。
私はそう思います。

  懐かしい方に手紙が書けて、心温まる一日でした。
お母様、ご自愛くださいませね。
敬具

             *    *    *

  「テル君」は近年国語教室で出会ったお子さん達のエピソードを縫い合わせて作り上げた架空の少年です。
良くも悪くも、誰もがテル君になる可能性があることをご理解くださいませ。
(たかだ・みさよ)

絵本フォーラム115号(2017年11.10)より

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