えほん育児日記

   
わが家の子育ては・・・


~絵本フォーラム第117号(2018年03.10)より~  第5回

わが家の子育て写真1 我が家の子育ては、これまで幾度も絵本に助けられてきました。長女が小学校一年生の時に出会った『にほんご』(安野光雅・大岡信・谷川俊太郎・松居直/共著、福音館書店)も、私たちを助けてくれた忘れられない一冊です。

 『にほんご』は、「読む」「書く」ことよりも「話す」「聞く」を大切に編集された言葉の本です。文部省学習指導要領にとらわれない自由な立場で、小学校一年生のための国語教科書を想定して作られました。この本を読むと、言葉は知識である以前に、人と人とを結ぶ行動であり、心と体は切り離せないものだと感じます。この本は、初めての小学校に戸惑う私たち親子の道しるべとなってくれました。

  長女は入学した直後から小学校に馴染めず、沈んだ顔で帰宅していました。「みんな決められた場所に座って、黙って先生の話を聞いているのはなんか変だよ」「どうして明日までに宿題をやらないといけないの?」「国語でお話を読むのを楽しみにしていたのに、教科書はちっとも面白くない。今まで母さんが読んでくれた絵本の方が、ずっと面白かった」。学校に対する疑念や失意に、娘の表情は曇っていました。

 幼稚園までのびのびと過ごしてきたので、学校生活はどうかなと案じながらも、きっと徐々に慣れるだろうと考えていた私はショックを受けました。なんと声をかけて良いものか、こんなに毎日つらそうで学校が楽しくないなんて……。小学校での様子は見えにくく、もう私にはどうしてあげることもできない問題に思えました。ずっと側に寄り添っていた頃とは違い、娘は既に私から離れて歩み始めていることを知ったのです。

 ある日、宿題のプリントを見て娘が言いました。ひらがなの形がお手本通りでないと、赤で直して返されます。「どうしてみんなお手本通りに同じ字を書かないといけないの? どうしてみんなが自分らしい字を書いてはいけないの?」。その言葉は私の胸に刺さりました。親として「お手本通りに書くものなのよ」と言うべきだったのかもしれませんが、それどころか私は娘に深く共感し、心動かされたのです。大切なことを教えてもらった気持ちでした。葛藤を抱えながらも自分で考えてもがく姿に、周りに流されない意志の強さを感じました。これからも色々なことがあるだろうけれど、その感受性を失わずに立ち向かってほしいと願いながら、毎朝娘の背中を見送りました。

                        *   *   *

 そんな時に出会ったのが『にほんご』でした。一緒に読もうと思って居間のテーブルに置いていたところ、帰宅した娘が見つけて一人で読み始めました。今まで一人で読書することはなく、いつも私のところに持ってきていた娘が一息に黙読し、「あー面白かった!」と言った時の清々しい顔が記憶に残っています。

 そこにはこう書かれています。《てでかくもじは ひとりひとりちがっていて、よみにくいこともあるけれど、ひとのかおをみているようで おもしろい》この言葉に娘と私は救われました。自分らしいのがいいんだよ、違っていて当然なんだ、だからこの世界は素晴らしいんだ……。娘が抱いていた疑問に対し、この本はおおらかに、そう語りかけているようでした。『にほんご』は娘にとって、学校で心に何か引っかかった時、迷った時、立ち返ることのできる拠りどころのような存在となりました。

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 三年生の今も、長女は学校への違和感を抱き続けています。それでも信念を見失わず、自ら決めたことは最後までやり遂げる人になりました。そんな姿を側で見てきた次女は長女のことを、「つらくても頑張って学校に行ってかっこいい。気持ちを家族に話せてかっこいい」と言います。次女が長女をこれほど理解し敬っていることに驚きました。長女は様々な気持ちを胸に、休まず登校しています。揺るがない視点で自分の道を見定めようとしているのかもしれません。私たち家族はお互いに解り合いながら、掛け替えのない時間を共に過ごしています。


(しのはら・のりこ)

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