たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第119号・2018.05.10
●●108

文は人なり  読み続けられる作品の文章表現が表出する

『ふしぎなたいこ』(岩波書店)

 

ふしぎなたいこ 文は人なり…という。『大辞泉』によれば、この格言は文章を見れば書き手の人となりがわかるという意で、18世紀フランスの博物学者ビュフォンの言葉をフランス語から意訳したものだ。ビュフォンはアカデミーフランセーズ会員となった1753年、「文体論」と題した入会演説のなかでこの名言を発している。「文」はフランス語で「style」と語られているから、格言にいう「文」は「文体」(文章表現のスタイル)と、ぼくは理解する。

  ともかくも書き綴られる文章表現(文体)は書き手の考え方や生き方、その人柄に至る書き手そのものを表出するのだという。万人をなるほどと肯かせるビュフォンの名言は265年を経た今日でも明解に活きているといえるのではないだろうか。かくして、作家たちはそれぞれ特長のある表現スタイル(文体)で独自の作品世界を創造し、かれら自身の人となりをもあらわにする。

 終戦前後から20世紀いっぱい、読書啓蒙から創作・翻訳活動まで、絵本や児童文学の普及に大きく尽力したことで知られる作家の石井桃子。彼女の人となりは作品からうかがい知ることができるのだろうか。

 小さな絵本選集『ふしぎなたいこ』は日本の昔話を絵童話化した作品でタイトル作品のほか「かえるのえんそく」「にげたにおうさん」2作を収録、いずれも清水昆が絵を担当する。

  「ふしぎなたいこ」は、類似の話が各地に伝わる昔話「源五郎の天昇り」をモチーフとした物語。主人公げんごろうが持つふしぎな太鼓は、「鼻高くなれ」といいながら片方をたたくと高くなり、「鼻低くなれ」と反対側をたたくと低くなる。

  しかし、人々を喜ばせるためだけにしか使えない太鼓を、好奇心にかられたげんごろうが、人間の鼻はどのくらいのびるものかと自分の鼻に「鼻高くなれ」とやったから、さぁたいへん…。ばち(罰)があたって天国までいくはめになり、ついには天国からまっさかさまに琵琶湖に落ちてげんごろうブナになってしまうというお笑い話である。

 石井桃子の物語は明解であり文章は明快である。やさしい、品性ゆたかな言葉づかいも美しい。子どもたちに深い愛情と関心を持ちつづけたにちがいない石井は、聞き手となる子どもたちがひとたび聞いたり読んだりすれば、すぅーと脳裏に刻めるようなわかりやすいテキストづくりに推敲を何度も重ねたに違いない。また、笑い話に必須のあかるく心地よいテキストは面白さを存分に引き出しているではないか。

 なんともいえぬユーモアに笑いをさそう清水昆の絵もすっかりテキストときもちよくなじんですばらしい。人気絶大であった清水昆の起用を自ら願い出て実現し、ふたりでコラボする絵と文の合同と分担をしっかり議論を交わして進めたという創作態度を知るにおよんで、ぼくは、石井桃子の人となりを勝手に推し量っている。

 絵本選集『ふしぎなたいこ』の初版発行は1953年、65年も読み語られる作品の文章表現は、やはり、「文は人なり」なのだろう。

(『ふしぎなたいこ』石井桃子=ぶん 清水昆=え 岩波書店)

 

前へ★ 次へ  第1回へ