たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第120号・2018.09.10
●●109

からすは嫌われ者ではない

『からすのパンやさん』(偕成社)

 

からすのパンやさん 月・水・金の週に三日、ぼくが早朝散歩する街路にまっ黒のからすたちがやってくる。これらの日は、燃えるゴミの収集日。この町では生ごみも燃えるゴミに分類され、20筋ほどある路地ごとに集積所がある。

 からすたちのねらいは生ゴミ漁り。ゴミは指定のゴミ袋で持ち込まれてナイロン材の丈夫な網がかぶせてある。しかし、もともと知恵があり利口なからすたちはたやすく網をはぎとり獲物を引き出す。ときに網縄まで引きちぎる。なまじ、人間たちが追いはらおうとすれば威嚇してくることもある。街路いっぱいに散らかされるゴミ。かくしてからすは嫌われ者となる。言わずもがなだが、からすは伝承説話などでも、悪魔や魔女の化身となり、夜鳴きが火災や不幸の前ぶれと語られたりして嫌われ者だった。

 果たして、からすはまったきの嫌われ者なのか。実は、からすは神話・伝承説話でも太陽の象徴とか神の使いとされることが多い。日本でも古来、神武東征神話に出てくるやたがらすのようにめでたいことが起きるまえぶれのしるしと語られる鳥だったのである。

 それでは、『からすのパンやさん』の家族や物語舞台のからすの町いずみがもりのからすたちはどうだろう。ぜひぜひみてほしい。作品では登場するからすのすべてが嫌われ者のまったきの対極者として描かれているではないか。

 からすのパンやさん夫婦にみんな異なる色で生まれた四羽の赤ちゃん。お父さんもお母さんもうれしくてたまらない。しかし、子育てはたいへんだ。朝早く起きてせっせと働く両親は思いのままに泣き出したりおなかをすかしたりの赤ちゃんに振りまわされる。しだいに育つにしたがって、いたずら、おねだり、おおさわぎ。……すくすく、のびのび、どんどん育つ子どもたち。それでも、子育てに手抜きなし。その分、パンを焦がしたり、お客を待たしたり…。で、仕事はちょっとピンチを迎える。働きながら子育てすることはすごく大変、からす社会だって同じこと。

 そんなこんなで、売れない焦げパンや半焼きパンは子どもたちのおやつになって…、これが吉に転じてパン屋さんは町一番の大人気のお店に…というストーリー。人間社会ならイノベーション大成功の見本ということだろうか。

 あたたかい、やさしい、ほのぼのとした…、描かれるからす社会のすばらしさは言葉だけでは説明できない。登場するからすたち個々の生きる姿をていねいに描き込んだ作者かこさとしが語りたかった事柄はなんであったか。当今の日本社会とくらべて”ふーむ、ふーむ”といった思いが募るではないか。

 警察庁の調査によると2017年の殺人事件は895件。内55.5%が家族間の事件だった。今年に入っても実子虐殺、実親殺人が頻発する。家族の実際はどうなっているのか。人びとの働き方の実情はどうか。”きずな”とか、”誠実に、ていねいに…”などと昨今の為政者たちの言葉はそらぞらしく浮遊するばかりではないか。

  戦後の1950年代、宮崎日南地方で学童期をすごしたぼくは、現在の都市でみるからすの群れをみた記憶がない。田畑や山間でみたことはあっても住宅地でみかけることはほとんどなかった。たまに見かけても夕方の空にあのカー鳴きをぼくらに届けて山へと向かうのどかな点景として印象を残す姿だった。

  学童期のぼくには、童謡上手な母や祖母がからすが登場する「七つの子」や「夕焼け小焼け」をよく歌ってくれた。

  遊び帰りに手をつなぎ歌った、”夕焼け小焼けで日が暮れて/山のお寺の鐘がなる/おててつないでみなかえろう/からすといっしょにかえりましょう”(夕焼け小焼け)、わが家族とからすの家族のあたたかみに感じ入ったように思う、”からす・なぜなくの/からすは山に/かわいい七つの/子があるからよ/かわいい・かわいいと/なくんだよ”(七つの子)。幼いころの情景と歌詞やメロディが生み出す叙情まで、胸を突く想いを失うことはない。ぼくも、からすを嫌われ者にはしていないのだ。

 まだ、勤め人であったころ、仕事納めの合図にふたつの歌詞を合成して「七つの子があるからね。からすといっしょにかえるぞ」とよく同僚たちに声を掛けていましたネ。

(『からすのパンやさん』 かこ さとし=さく 偕成社)

 

 

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