ジェリーの日本見聞録7

 

『平和の形』

図書館戦争 私の家族は『テレビ族』です。今でも食事中は必ずテレビがついています。ある夜、小学校5年生の時にテレビで忘れられない物を見ました。その夜、いつもの番組が中止になり、生中継の映像がずっと流れていました。いつものニュースおじさんがコメンテーターをしていました。

 テレビに映ったのは夜の街のスカイラインと空でした。それでいきなりスクリーンの上からミサイルが落ちて逆花火のように。スカイラインのところからSF映画に出てくる光のような、逆攻撃が始まりました。そのシーンは自分の頭の中では赤と緑とオレンジ色に染まっていましたが、その時キッチンにあったテレビは白黒でしたので、そのはずがありません。これは湾岸戦争の始まりでした。

 その夜、私はあまり眠れませんでした。何か変な感じがしました。食卓が無言のせいだったかもしれません。家族はテレビ族ですが、とてもお喋り好きで、ご飯の時はいつも賑やかな時間でした。ですから、両親が無言になることはとても少ないのです。

  翌日学校に行ったら、担任の先生が1時間目に落ち着いた声で「戦争」の言葉を口にしました。2時間近く、私たちの質問に答えてくれました。担任の先生のニックネームは「オニ」でした。すぐ怒ったり、物を投げたり、「時間がないから質問はなし」と言うような先生でしたから、この事はとても変に感じました。「オニ先生がこんな感じになるのは大変な事が起こっているに間違いない」と、私は思いました。クラスメートもきっと同じ気持ちだったはずです。2週間たってもテレビで見た事の衝撃は薄くなりませんでした。

  数日後、突然オニ先生が入院して「2ヶ月ぐらい来ない」と校長先生が私たちに伝えに来ました。校長先生と一緒に来たのは、ピーターズ先生でした。ピーターズ先生が来てから3日後のことでした。オニ先生がいないのに私たちがピリピリしているので、ピーターズ先生はこう言いました。「戦いは簡単だがやっちゃいけない。戦わない事の方が難しいから価値がある。あなたたちは、何も出来ないと思っているから怖いんだ。けれど出来る事がある。一緒に言おう『Heck no! We won’t go! We won’t fight for Texaco!』大きな声で叫びましょう!」。訳すと「ぜったい嫌!行かない!石油会社のために戦わない!」の感じになります。アンチ戦争のスローガンでした。

 確かにそうでした。子どもの私たちが何もできない立場でしたので、とても不安で怖かったのです。その時までテレビや周りにいた大人からは「私たちの日常生活を守らなきゃ」や「しょうがないよね。石油が必要だからね」の意見や話が多かったので、私もその考えになってしまいましたが、このスローガンを聞いたら私の気分と考えが変わりました。ピーターズ先生と一緒にいた2ヶ月間、クラスメートと一緒に毎日このスローガンを歌いました。

 平和は目に見えない物ですが、形があります。その形は皆さんそれぞれあると思います。けれど、どんな形でも割れたら元の形に戻すのはなかなか難しいと思います。

 あなたの平和の形は何ですか? 食べ物いっぱいの食卓? 子どもの笑い声? 綺麗な海の景色?

 私の場合、有川浩氏の『図書館戦争』を読んだ後に、自分の平和の形がやっと分かりました。自分で考えて、自分で選んで、自分で決めるのは自由そのものだと思います。戦争の時、本当のニュースはプロパガンダに負けてしまいます。プロパガンダが入ると「しょうがない」の一言が増えます。一言なのにとても怖い言葉です。自由が終わる印になります。

  私の両親の平和の形は、自分の子どもの寝ている顔だと思います。両親がいつも寝る前に私の部屋に来て、ドアを開けて廊下の光で私の寝顔を見て、ちょっとしたらドアを閉めて、兄の部屋に行って、同じ事をして、それから自分の部屋に行きました。気のせいかもしれませんが、湾岸戦争の映像を見た後から、ドアのところで立っている時間がちょっと長くなった気がします。
(ジェリー・マーティン)

 

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