たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第130号・2020.05.10
●●119

刻一刻と、時を刻む。
短針・長針の役割を明快な画面展開にのせてガイドする

 

とけいのほん①

(福音館書店)

 

とけいのほん1 近年めっきり夜の眠りが浅くなった。そのぶん昼にうつらうつらとするのだから厄介である。寝つきの悪いのに9時半には寝床に就くぼくは、夜半の11時から早朝5時まで名高い「ラジオ深夜便」を流し聴く。時(とき)の長さ六時間。5時に起床すると、ぼくは散歩の準備に入る。寝入ったり目覚めたりをくりかえす六時間、当然だが眠りは浅い。

  「深夜便」は、学術・芸術の碩学や社会・生活文化における優れた実践者たちの語り、なつかしい音曲・歌謡など広いコンテンツにする。いい番組だと好みにしている。六時間を六等分する編集構成は、区切りの時報ごとニュースを5分間報じる。

  このところニュースの大半は新型コロナウイルスの感染情報である。WHOはパンデミックを宣言、日本政府も特措法に由る緊急事態宣言を発して世界中が混乱の極み。中国で昨年12月末に発生したウイルスは瞬く間にグローバル世界を襲った。193か国を覆いつくし三か月半で210万人以上に感染させ、14万人以上の命をうばった。

  この一瞬(とき)、この瞬間(とき)に、刻(とき)は刻(きざ)まれ、ウイルスは人々を襲う。油断はできない。

  日本の感染者も1万人に達し、死亡者は210人を超える。政府対応が後手にまわり、感染の勢いは衰えない。”STAY HOME”や休業を要請するが保証なしの行政対応に中小事業者や国民の暮らしの破たんが見えはじめている。永年、経済合理性だけを追い求め病院や保健所の縮小政策を執ってきた医療行政の大きなツケが回ってきたのではないだろうか。

  刻一刻(こくいっこく)と刻(きざ)まれる時(とき)と時間(とき)。積み上がる感染者の数を前にして、一瞬(いっとき)たりと猶予できる時間(とき)はない。ぐずぐずするな、時計(とき)を見ろ……ではないか。

  ぼくの寝床の枕元には目覚まし時計(どけい)もある。百円ショップで手に入れたが、ちゃんと時(とき)を刻(きざ)む。時計のカチッ、カチッと1秒を刻(きざ)んでゆく鳴音は格別である。ことばでは表現できない想いが強い。幼児・学童期の我が家で、柱時計が打ち刻む鳴音は心に沁み込む音だった。高校入学時、はじめて手にしたゼンマイ式腕時計の鳴音。それは胸躍らせる鳴音だった。

 目覚まし時計が刻(きざ)む鳴音は、ぼくに眠りと目覚めをうながしながら一夜をいざなっている。時計は単なる器械ではない。瞬間・一刻・時間・年月を刻み、ぼくらに命を吹き込む存在ではないか。時計は幼児・学童たちにとってどんな存在だろうか。子どもたちは、時計の見方や仕組みにどれほど関心を寄せるだろうか。

  アナログ時計の短針・長針の関係を、ちびとのっぽと擬人化して朝から夕までのお散歩物語にした絵本に『とけいのほん①』がある。

  ぼくが時計の見方を知ったのはいつだったか。柱時計の鳴音に感動したり感じ入ったりするなかで何となく知ったように記憶する。現在の子どもたちはぼくの幼児期よりはるかに時計について知識はあるのだと思う。少なくとも短針・長針の関係は知っている。しかし、時計の働きかたや仕組みとなると、その理解は少々難解になるのではないか。

 だから作者は、ゆっくり、のんびりと、ちびとのっぽの散歩をつづけてゆく。長針がぐるりと一回りして時計の天におさまる。すると短針はひとつの数字だけ動く。その瞬間に短針が指す数字を〇〇時と呼ぶことを教える。なーるほどと子どもたちはうなずけるのではないか。この絵本から学べるのは、何時と半(はん)(30 分)の見方だけでおしまい。これだけで30頁を費やしている。それだけにゆっくり・のんびりの散歩が愉快に展開するふんわりムードの傑作絵本なのだ。どうやら、分や秒はシリーズ②巻目にゆずったらしい。詰め込みをよしとしない作者の考えに賛成する。シンプルで明快な画面展開もいい。
朝7時から夕刻5時半過ぎまで、ほぼ、丸一日の散歩譚。とうせんぼ、S字カーブに上り坂ありの見せ場もありで、かわいいキャラクターたちが跳ねている。
(おび・ただす)

とけいのほん①
まついのりこ/さく 福音館書店

 

 

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