絵本のちから 過本の可能性
特別編

「絵本フォーラム」52号・2007.05.10

見つめ学び続ける
(第 3 期修了生)
稲垣 勇一

稲垣 勇一(いながき・ゆういち)

 1932年、長野県上田市生まれ。現在も在住。 県内の主に公立中学校に勤務。保育指導主事・私立高校教員等も経験。中学生時代以降ずっとサークルに所属。学ぶものが大きかった。現在もそれは続いている。在職中から児童文学、特に絵本・民話を学び、その深さと大きさに驚きながら、自分でも読み、普及もできればと活動している。差し当りの活動は絵本の普及と昔話の語り、そのための勉強が中心。 塩田平民話研究所所長、NPO上田図書館倶楽部理事・文化部長、読書アドバイザー、NPO法人「絵本で子育て」センター絵本講師。


 3月24日は東京会場の閉講式だった。もう終ってしまった、という感じもある。あやふやな今までの活動では見えなかったものが、この講座の受講で見えてきたものがいくつかあるし、まだまだ力をつけたいことは山とある。特に実践することでしか解決できない課題を多くもらった。ともかく、学んだことの上に活動を積み重ねなければと今は考えている。

 それにしても、飯田橋通いは楽しかった。たくさんのことが見えてきた。ありがたいことだ。

 例えば、当初、毎回手にする新しいテキストの意味がよく分からなかった。不遜にもどこかでいつか見聞きしたことに思えた。高校生時代のように、テキストの左右の広い空白に書き込みをしながら読むうち、それがとんでもないことだと分かり始める。実践に多くのページを取ることの意味が、頭でっかちの私には読めなかった。それが一貫して、奢らない基本的な土台の上に成立していることも、軽薄な私には見えなかったのだ。やがて、テキストの内容と講演とが自分のなかで少しずつ結びついてきて、テキストの中身の重さが私なりに見え始めたと思う。

 そのこと一つについても感想はまだ書きたい。それ以外に感謝を込めてメモしたいことも次々と出てくる。スタッフの温かさにも具体的に触れたい。でも申し訳ないがここでは一つのことだけに絞って触れさせてもらう。

 1月 20日「絵本講座をやってみよう」のスクーリングで森ゆり子さんの講座を受けた。その後、いつになく拍手することを拒んでいる自分があった。森さんの読みやことばがじんわりと体のなかに染み込んでいて、今心のなかに沈んでいるものを、拍手という形でお伝えするのは少し違うのだなあ、と思っていた。

 昼食時神楽坂に出て、上島珈琲店に入った。店内は体を横にしなければ通れないほどの混雑で、二人用のテーブルが一つだけ空いているように見えた。けれども、カウンターで「ごゆっくりどうぞ」といわれたのに甘えて腰をすえた。(森さんのことばが、こんなに身内に染み透ってくるのはなんだろう)と、私には少し苦すぎるコーヒーを飲みながら考えた。

 思い出してみて、まず目に見えてきたのは手の表情だった。それは後半少し多くなったと思うのだが、語り口が静かなだけに、手の語るものがはっきり見えた。それはちょうど絵本のなかでの文章と絵が相互に語り合い補てんし合って世界を拡げているのに似ていた。耳に聞こえることばを、目に見える手が合わせて語る内容を伝えている、と思った。

 ことばにすれば多分そういうことなのだろうが、実はもっと感性的で身体的なものであった。体が拍手じゃないな、といっていたのだと思う。

 ありがたいことに、この養成講座でたくさんの先輩の絵本の読みに接した。それぞれに心引かれた。そしてそこに共通する力を、「作品理解の深さ」だ、といま私は感じている。作品理解の深さとは、優れた一冊の絵本への具体的な深い感動といい変えていい。読みの技術として表面に表れる形は、その延長にあって初めて生まれてくる次の課題だし、絵本講座をどう構成するかは少し別の問題だろう。まず私たちは一冊の絵本を深い感動で読めなければならない。そのことを外して、子育てにつながる絵本の力の伝承はあり得ない。その力をどう身に着けるか。学ぶことはこれからも多い。

 先達の絵本の読みに接して、私にはもう一つ厄介な課題がある。「作品理解の深さが、累積された経験と人柄が作る個性に裏打ちされている」ことだ。森さんの絵本の読みにも講演全体にも、長い経験が作り出す深さと強さを感じた。そして、私に決定的に欠けているのはその経験だということも、また強く思った。経験知や経験力の落差は、考えてみると気が遠くなるほどに大きい。相手がそこに留まっているならともかく、埋めることが不可能にさえ見える。

 でもただはっきりしていることは、経験することに向けてなにはともあれ歩き出さねばということだ。

 実はその第一歩が目前に用意されている。

 私が所属する上田図書館倶楽部という組織がある。3年前駅前に「市民の暮らしとビジネス支援」を掲げて新しい図書館ができた。その館を市民側からサポートし、行政と市民協働の図書館づくりをということで生まれたのが上田図書館倶楽部だ。この3月NPO法人にもなった。そこが新年度の活動の一つとして「絵本の読み聞かせボランティア養成講座」を、子ども向けの内容8回、高齢者向けの内容6回の企画で、計画活動する。長野県では各地で先進的に活動している仲間たちが多い。その人たちの知恵や力も借りて、なんとか実りのあるものにしたい。『絵本で子育てセンター』にも相談に乗っていただければと思う。

 それにしてもこういうときいつも思うのだが、なにか探してうろうろしていると必ずといっていいほど次に進むためのものが、そこに用意されている気がする。それは書物であったり、講座であったり、時には全く無関係な旅のなかであったり、今度のような機会であったりする。それは私の知恵や力の外からくるありがたい出会いだ。だれかが私を見つめていて用意してくれるとしか思えない。邂逅と感じる場合もある。その機会を十分生かしているかどうか心許ないが、今度も仲間といっしょに歩き出したい。この「絵本講師・養成講座」で学んだまだ湯気がぽっぽと出ている内容を、繰り返し思い出しながら……。

 3月末の一日、上田はひどい黄砂に覆われて、直線距離にして200メートルたらずの家の前の丘が、濃い霞に包まれたように輪郭をにじませていた。毎年黄砂は経験するがこれは特別。ゴビ砂漠は乾燥や風がより激しくなっているのか。この冬上田は極端に雪が少なく、芽を出した水仙は茎が伸びず、いつもの年の3分の2ほどの丈で花をつけた。異常気象の水不足からかと話していたところだ。人も自然も異常気象の真っ直中にいる。見つめ・学びつづけて活動していきたい。


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